集会祈願
🌸 第一朗読 (バルク1.15b-22)
15わたしたちの神なる主は正しい方であるのに、わたしたちの顔は今日、恥で覆われています。ユダの人々、エルサレムに住む人々、 16わたしたちの王、高官、祭司、預言者、先祖たちも皆そうです。 17それは、わたしたちが主に対して罪を犯し、 18主に背いたからです。わたしたちは神なる主の御声に耳を傾けず、主がわたしたちに与えてくださった命令に従いませんでした。 19主がわたしたちの先祖をエジプトの地から導き出された日から今日に至るまで、わたしたちは神なる主に背き、主を軽んじて、御声に耳を貸しませんでした。 20そのためわたしたちは今日、数々の災いと呪いに付きまとわれているのです。この呪いは、主が乳と蜜の流れる地をわたしたちに与えようと、先祖をエジプトの地から導き出された日に、その僕モーセを通して宣告されたものです。 21わたしたちは、主から遣わされた預言者のあらゆる警告を無視して、神なる主の御声に聞き従わず、 22おのおの、よこしまな心の思いのままに歩んで、他の神々に仕え、神なる主の御前で悪を行いました。
🌸 答唱詩編 詩編32 典114 ①②
アレルヤ唱 典
261 ⓷
🌸 福音朗読 (ルカ10.13-16)
ルカによる福音
13〔そのとき、イエスは言われた。〕「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。 14しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。 15また、カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
16あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
コラジン、ベトサイダ、カファルナウム、こうした町は、イエスの弟子たちの出身地、あるいは、イエスの宣教の拠点だった町である。さらに、加えるとすれば、ナザレ、そして、エルサレム。イエスが生まれ育ち、そして、イエスを生んだ神の民の都、聖地と言われる地。それが、イエスを受け入れないことで、厳しい非難の言葉を浴びせられるのはなぜだろうか。
「奇跡」という言葉、これは、「しるし」、「不思議」、あるいは、「力」とも訳される。いずれにしても、それは、大向こうを唸らせる、あっといわせる見世物ではない。見る目を持ち、聞く耳を持つ人が受け入れるもの。見ても見ず、聞いても聞かない人には縁のない世界。要するに、そうしたことに対するセンスがない人。視力でも、聴力でもない。何が障害になっているのか。
自分の世界にこり固まり、自分の限られた知識・経験・人脈に捉われていて、それを超える世界に心が開かれていない人のことではないか。内側を向いていて、外側に開かれていない人のこと。わたしたちの中にも、そのような傾向が潜んでいないだろうか。
神を受け入れることは、決して、どこか遠い世界のことではなく、ごく身近なところで、自分を開いて行くこと、人の言葉に、人の心、態度、存在に、自分を開いていく姿勢を持ち続けること、それが、イエスを受け入れ、父を受け入れることにつながるのでは。(S.T.)