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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十主日C(8/14)

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わたしが来たのは、地上に火を投ずるため

ルカ12:49
集会祈願

🌸 第一朗読 (エレミヤ38:4-6、8-10)

エレミヤの預言

 〔その日、役人たちはエレミヤについて〕王に言った。
 「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
 5ゼデキヤ王は答えた。
 「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
 6そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
 7宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。
 8エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
 9「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
 10王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。

🌸 答唱詩編 詩編40 典54①④

🌸 第一朗読 (ヘブライ12:1-4)

ヘブライ人への手紙

 〔皆さん、私たちは、〕このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 3あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
 4あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

アレルヤ唱 典272(20C)

🌸 福音朗読 (ルカ12:49-53)

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
 53父は子と、子は父と、
 母は娘と、娘は母と、
 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
 対立して分かれる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 8月も半ば、お盆、慰霊祭、終戦記念日等、一連の夏の行事の最中、静かに、過ぎし日を振り返るべき時ですが、つい、現在わたしたちが置かれている状況、国内的には異常気象、そして、一向に衰える気配のないコロナ感染症、また、世界的には、ウクライナでの戦争のこと、東アジアの緊張関係に心が向かいます。

 現在のこと、目前のことに心が捉われていると、過去を振り返ることも、未来に目を向けることも容易でないと感じます。今のことにとらわれていると、過去に関しても、とかく悲惨な戦争のこと、いまわしい経験にばかりに思いが向かい、未来に関しても、とかく、希望のない、不安や心配ばかりが頭によぎり、明るい開かれた未来を考える余裕がなくなります。

 こうした状況の中で、しかも、この異常な暑さの中で、それでも教会に足を運ぶのは、そこに、わたしたちが置かれている現実とは違う、静けさと平安、安らぎがある、とどこかで感じているからかもしれません。教会で聞く言葉の多くは、世間で聞く言葉、メディアの言葉とは違う、しばし、わたしたちが置かれた現実を忘れさせる言葉でしょう。しかし、それは、必ずしも、甘い慰めに満ちた言葉ばかりではありません。今日の朗読箇所は、それをいやというほど感じさせる厳しい言葉です。

 今日の第一朗読の中で、預言者エレミヤについて、役人たちは王に言います、「この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです」と。エレミヤが生きた時代、紀元前6世紀、北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、小さくされた南王国ユダもバビロニアによって滅亡の危機に晒されていました。ユダの王ゼデキヤの心は揺れ動き、エジプト軍の援助に期待しようとしますが、エレミヤは、むしろ、主の言葉を王に告げます、「この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、カルデヤ軍(バビロニア)に投降する者は生きる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される」(エレミヤ38.2,3)と。上層部だけが味わう見せかけの平和ではなく、苦しみを伴う神の意思の実現によって訪れる、真の平和への道を示します。しかし、それによって、エレミヤは、泥のたまった水溜めに吊り降ろされるという、命の危険にさらされるのです。

 イエスの言葉も、決して、耳にここちよい言葉ではありません。「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか、そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人に二人は三人と対立して分かれるからである。」と。イエスが言われる「平和」は、人間が常識的に考える平和、力や武力で、政治家の妥協によって生まれる平和ではなく、神が望まれる平和のことです。神だけが与えることのできる平和、神の恵みとしての平和です。神の意思を受け入れることによって、たとえ、それが苦しみを伴うものであっても、また、家族の中に、仲間の間で、分裂を生み出すものであっても、それが神だけが与えることのできる、真の平和への道であることを教えているのです。

 人生の中で、度々経験する決断のときーー自分の進路を決めるとき、配偶者との生活に賭けようとするとき、子どものため、あるいは、老親のため、何か決定をしなければならないとき、神の望みは何であるか、よく考え、祈り、識別しなければなりません。見かけの平和・安定ではなく、真の平和をもたらす神の意思が何であるか確かめ、たとえそれが、苦しみや一時的な分裂をもたらすものであったとしても、それに自らを従わせる勇気が与えられるよう祈りましょう。

 ヘブライ人への手紙の著者は、先週の朗読に続いて、アブラハムから始まって旧約時代の多くの人々が自らの生き方をもって、信仰の模範となったことを記します。そして、何よりも、「ご自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになった」イエスの姿を思い起こすよう励まします。様々な困難の中でも、その向こうに、主が備えてくださる喜びと幸せがあることを思い、主の望みに日々応えてゆくことができますよう、祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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