集会祈願
🌸 第一朗読 (イザヤ62.1-5)
1シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
彼女の正しさが光と輝き出で
彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。
2諸国の民はあなたの正しさを見
王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。
主の口が定めた新しい名をもって
あなたは呼ばれるであろう。
3あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり
あなたの神の御手の中で王冠となる。
4あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく
あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。
あなたは「望まれるもの」と呼ばれ
あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。
主があなたを望まれ
あなたの土地は夫を得るからである。
5若者がおとめをめとるように
あなたを再建される方があなたをめとり
花婿が花嫁を喜びとするように
あなたの神はあなたを喜びとされる。
🌸 答唱詩編 詩編96 典148 ①②⑤
答 遠く地の果てまで、
すべての者が神の救いを見た。
新しい歌を神に歌え。
世界よ、神に向かって喜び歌え。
神の名をたたえて歌い、
日ごとに救いを告げ知らせよ。 【答】
すべての国にその栄光をかたり、
全ての民に不思議なわざを伝えよ。
神は偉大、ほむべきかた、
すべてを越えておそるべきかた。 【答】
聖なるものが現れる時、神をおがめ。
世界よ、神をおそれよ。
神は来られる、世界をさばきに来られる。
正義とまことをもって、
すべての民をさばかれる。 【答】
🌸 第二朗読 (一コリント12.4-11)
4〔皆さん、〕賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 5務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 6働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 7一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 8ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 9ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 10ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 11これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
アレルヤ唱 典271 2C
アレルヤ、アレルヤ。福音によって神はわたしたちを召し出し、主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ヨハネ2.1-11)
ヨハネによる福音
1〔その日、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 6そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 9世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
年が改まって早2週間が過ぎ、わたしたちの生活も、現実に戻り、仕事に追われる日々となりました。今年こそはと、希望を抱いて迎えた新しい年ですが、年末から再びコロナ感染症が、今までにない速度で広がり、第6波の波がそこまで迫っているような不安が社会には漂っています。教会の典礼は降誕節から年間に入っていますが、今日の福音には、まだ、公現祭の余韻が残っています。
そんなわたしたちに、神は、今日、何を語ろうとしておられるのでしょうか。今日の朗読の中心となる福音は、よくご存じのカナの婚宴の話しです。婚宴の席で葡萄酒がなくなった時に、イエスが母マリアの執り成しにより、水を葡萄酒に変えられたという話しです。ヨハネは、これを「最初のしるし」として記しています。マタイやマルコ、ルカ、いわゆる共観福音書と呼ばれる福音書では、イエスが病気を癒されたこと、悪霊を追い出されたことを、最初の奇跡として記していますが、なぜ、ヨハネはカナでの出来事を、最初のしるしとされたのでしょうか。
婚宴の話は、イエスの説教にもたびたび出てきますが、第一朗読のイザヤの預言の中でも触れられているように、旧約聖書の中でも、預言者たちが、神と人々との深い交わり、また、来るべき終末の救いのたとえとして言及されています。人となられた神の子としてのイエスの生涯を記すにあたって、ヨハネは、イエスがもたらそうとされたことが、まさに、喜びにあふれた救いの到来であることを、カナの婚宴の話で示そうとされたのではないでしょうか。
婚宴という、人間一生に一回しかない晴れがましい時に、肝心な葡萄酒が底をついてきます。もし、それが招待客に知れたら、新婚の夫婦は大恥をかき、結婚式は台無しになっていたでしょう。そこで、イエスの母マリアは、花婿たちが直面するであろう窮状をいち早く察知し、イエスに耳打ちします、「ぶどう酒がなくなりました」と。十字架に架けられたイエスが、弟子をわが子として母に託したことを、先取りするかのように、母は、人々が直面する困難の解決をイエスに委ねます。
しかし、イエスは、一見無関心を装うかのように、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません、」と答えます。「わたしの時」とは、イエスが迎えるべき受難と死、十字架の死を意味します。イエスがもたらす救いは、その苦しみと死を通してはじめて実現するものです。それでも、母の信頼は揺らぎません。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と。イエスは、母の言葉を受けて、かめを水でいっぱいにし、それをぶどう酒に変え、窮状を乗り越えられます。
この出来事は、ただ一つの奇跡であるのではなく、イエスがまさになさろうとしておられる、救いの業、全体をあらわすしるしです。「水がめに水をいっぱい入れなさい」とイエスは言われます。それほどのぶどう酒が必要だったのかわかりません。しかし、イエスのなさる業はいつも、人間の必要を超えるものです。パンの奇跡を思い出してください。パンを増やされた後、「残ったパンの屑で、12の籠がいっぱいになった、」とあります。また、サマリアの女との対話の中で、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われます。ヨハネ福音書の冒頭に、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上にさらに、恵みを受けた」とヨハネは記します。
カナの奇跡が前もって語る、イエスがもたらされた、はかりしれない恵みの中に、わたしたちは生きています。この事実をしっかり受け止めましょう。わたしたちが生きる現実の中には、人間的に見て不都合なことが次々と起きてきます。しかし、結婚式での思いがけない場面に主が同席されたように、そうした現実の中に、主がともにいてくださり、思いもよらない解決への道を開いてくださることを心に刻みましょう。そして、その恵みに感謝し、その恵みを一層深く意識するだけでなく、それに生かされ、その喜びを出会う人々に伝えて行くことが出来るよう、祈りましょう。(S.T.)