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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第三十一主日(10/30)

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今日、救いがこの家を訪れた。

ルカ19:9
集会祈願

🌸 第一朗読 (知恵11:22~12:2)

知恵の書
22御前では、全宇宙は秤をわずかに傾ける塵、
朝早く地に降りる一滴の露にすぎない。
23全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
24あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
25あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
26命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。
1あなたの不滅の霊がすべてのものの中にある。
2主よ、あなたは罪に陥る者を少しずつ懲らしめ、
罪のきっかけを思い出させて人を諭される。
悪を捨ててあなたを信じるようになるために。

🌸 答唱詩編 詩編145 典18 ④⑤⑥

🌸 第二朗読 (二テサロニケ1:11から2:2)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
 11〔皆さん、わたしたちは〕いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。 12それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです。
 1さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。 2霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。

アレルヤ唱 典270 31C

🌸 福音朗読 (ルカ19:1-10)

ルカによる福音
 1〔そのとき、〕イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 2そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 3イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 4それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 5イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 7これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 8しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 9イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 10人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 10月の最後の日曜日、秋の深まりとともに、典礼暦も終わりが近づいて来ます。福音は、イエスの旅が終着点に近づき、エルサレムに入る直前の町、エリコを舞台としています。エリコは死海に近い古い交易の町、そこから一気に急な坂を登れば、エルサレムの郊外が現れます。そこで、イエスは徴税人の頭ザアカイと出会い、深い神の愛を示されますが、その話に入る前に、第一朗読で読まれた知恵の書の言葉について、少し触れておきましょう。
 知恵の書は、紀元前2世紀あるいは、1世紀の前半、エジプトで、おそらくギリシャ語で記された書物で、新共同訳では旧約聖書続編に含まれていますが、教会の典礼ではよく読まれ、旧約と新約を結ぶ橋渡しのような位置にあります。
 今日の箇所には、とても心に響く美しい言葉が出て来ます。「あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」(11.24∼26)。
 旧約聖書の神は、罪を罰し、悪を滅ぼす恐ろしい裁き主と考えがちですが、知恵の書が語る神は、すべて造られたものを慈しみの心で受け入れ、いとおしまれる方としてのイメージです。初めて読んだときから、心にずっと響き続けている言葉です。こうした神のイメージをもつまで、聖書の民は長い年月を必要としていたのかもしれません。苦しい試練を経、異教の地での生活を余儀なくされ、また、自らの罪のために、様々な災いをわが身に招いたという自覚から生まれた認識とも言えるでしょう。
 ルカ福音書に戻ると、ザアカイという名の徴税人の頭が登場します。メシアのうわさもあるイエスが通りかかることを耳にし、一目見ようとやってきますが、背が低かったため群衆にさえぎられて見ることができません。(エリコには、「これがザアカイが上ったいちじく桑の木」だとまことしやかに案内される大木が今もそびえています。)イエスは、すぐにザアカイに気づき声をかけます。「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と。罪人とレッテルを貼られている男の家の客人となり、一夜をともに過ごすとは、ユダヤ人にはとうてい考えられないことでした。イエスに対する非難の声が聞こえます。「あの人は罪深い男のところに行って、宿をとった」と。
 ザアカイがどんな悪事を働いたかは記されていません。しかし、徴税人、しかも、その頭ということで、人々からは人々の弱さにつけ込み、私腹を肥やす大悪党のように思われていたことは間違いないようで。しかし、思いがけず、イエスから声をかけられ、自宅にまで迎え入れたザアカイは言います、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と。イエスとの出会い、そして、思いもよらないイエスのいつくしみに満ちた声掛けに、ザアカイの心は一気に洗われたのでしょうか。人間の凍り付いた心を溶かし、行動へと動かすのは、人との出会い、そして、思いがけない声掛けです。そんな男にイエスは言われます、「今日、救いがこの家を訪れた」と。それまでの生き方と訣別し、新しい心で人生をやり直す一大決心を表明した男を、イエスは、放蕩に身を持ち崩した息子を迎えた父親のように、大きな心で迎え入れます。知恵の書が見事に記してみせた神のいつくしみの愛を、イエスは文字通り、その存在を通して、生ける言葉と行いをもって、表わしてくださったのです。
 イスラエルの人々が心の中に築いてきた壁を打ち崩し、異邦人、罪人、病人、貧者等、様々な形で差別を受けてきた社会的弱者を、限りない愛をもって迎え入れる父なる神の愛を、イエスは生涯をかけて証しされました。間もなく迎えようとするエルサレムでの受難と死は、そうしたイエスの決意、父なる神の本気を示すものだったのではないでしょうか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 今日はとにかく遠い教会に行こうと思い行ったら、いきなり福音はザアカイのところだった。
    主任司祭以外は誰も知らない状況が、イエス様以外誰も知らない木の上と同じだ。
    行きはガソリンスタンドのお兄さんと犬の散歩中のおばあさんと高校生の男の子の世話になってたどり着き、さっき昼に入った定食屋のおばあさんは生姜焼き定食だけ頼んだのに酢の物のうまい和え物と二種類の煮物と温かいうどんまで付けてくれた。
    何だか、ローマ帝国と人々の間に入っているのがザアカイだが、自分は神さまと人々の間に入っている気がして来た。
    回心したから神さまはゆるしてくれたのではなく、神さまがゆるしてくれたから、私は回心できたのだ。
    人々を、ゆるして、ゆるして、ゆるして、ゆるして、、ゆるすことができる人間になる恵みを祈り求めている。

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