集会祈願
🌸 第一朗読 (シラ2:1-11)
シラ書
1子よ、主に仕えるつもりなら、
自らを試練に向けて備えよ。
2心を引き締めて、耐え忍べ。
災難のときにも、取り乱すな。
3主に寄りすがり、決して離れるな。
そうすれば、豊かな晩年を送ることになる。
4身にふりかかる艱難は、すべて甘受せよ。
たとえ屈辱を受けても、我慢せよ。
5金は火で精錬され、
人は屈辱のかまどで陶冶され、
神に受け入れられる。
〔病気のときも貧しいときも、主に依り頼め。〕
6主を信頼せよ。
そうすれば必ず助けてくださる。
お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。
7主を畏れる人たちよ、主の憐れみを待ち望め。
わき見をしてはならない。
さもないと、道を踏み外す。
8主を畏れる人たちよ、主を信頼せよ。
そうすれば必ず報われる。
9主を畏れる人たちよ、主が賜るすばらしいこと、
すなわち、永遠の喜びと憐れみを待ち望め。
〔主は喜びに満ちた永遠の賜物を
報酬として与えてくださる。〕
10昔の人々のことを顧みて、よく考えてみよ。
主を信頼して、欺かれた者があったか。
主を敬い続けて、見捨てられた者があったか。
主を呼び求めて、無視された者があったか。
11主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、
わたしたちの罪を赦し、
苦難のときに助けてくださる。a
🌸 答唱詩編 詩編37 典166①⑤
アレルヤ唱 典273 ㊷
🌸 福音朗読 (マルコ9:30-37)
マルコによる福音
30{そのとき、イエスと弟子たちは}ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。 37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスの、自分が受けようとしている苦しみと死、そして復活についての2回目の予告。「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」とある。ペトロだけでなく、弟子たち皆にとって、先生が受けることになる受難は考えられないこと。考えるだけでも恐ろしいこと。その意味が分かるのは、師が十字架上で死なれ、その後復活されてからである。
その頃弟子たちの頭にあったのは、だれが一番偉いか、ということ。どんな時代でも、どの世界でも、人間なら考える自然なこと。イエスと生活を共にして、イエスの言葉をいつも耳にしてきた弟子たちの心の実態はこのようなものだった。そんな弟子たちの思いを一蹴するかのように、イエスは、一人の子どもの手を取って彼らの真ん中に立たせる。
マタイは、そのような場面で、「子どものようにならなければ天の国に入れない」という。ここでは、そうでない。
「このような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのだ」と言う。当時の社会は現代の社会と違う。子どもは、人権も尊厳もない、厄介者でしかない、そのように軽んじられているものとイエスは自らを同化される。そんな子どもを受け入れることで、イエスに近づき、イエスの傍に侍るものとなることができる。
3回目の受難の予告は10章に記されているが、そこでも、だれがいちばん偉いかという議論が再現される。(S.T.)
役所の帰り、これを書く直後か直前、煙の嫌な臭いが僅かにした。帰路を進むと遠くの西の方で黒い煙が!
わずかにメイメリと音が。にわかに火事だと信じられずとにかく所轄警察署にTEL。そして119.
自転車の後ろに小さい女の子を乗せた若いお父さんと、やはり火事だ、と。女の子がバイバイしてくれた。
今、途中の高校のテニスコートと神社兼お寺の間で書いている。
学校帰りの子どもたちの声。
所轄課長と再度電話。
聖俗の統合!
アーメン。
了解!
これも早とちり。冒頭大文字だけ読んで、すぐに答えた。またやっちちった。
一番先になりたいって単なるスピード狂だと思う。