祈る花:Inoruhana
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受難の水曜日(4/16)

「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

🌸 第一朗読 (イザヤ50.4-9a)

イザヤの預言

4主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
8わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
9見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。

🌸 答唱詩編 詩編69 典115 ④⑤

:主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

神の名をたたえてわたしはうたい、
感謝して神をあがめよう。
苦しむ人はこれを見て喜べ。
神を求める人は心に喜びを受けよ。【答】

神は貧しい人々に耳を傾け、
捕らわれびとをないがしろにされない。
天と地は神をたたえよ。
海とその中に生きるすべてのものも。【答】

詠唱 ア523 ④

🌸 福音朗読 (マタイ26.14-25)

マタイによる福音

 14そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、 15「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。 16そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
 17除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。 18イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」 19弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。 20夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。 21一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 22弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 23イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。 24人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 受難物語には必ず、12使徒の一人、イスカリオテのユダの名前が出る。師イエスが十字架で亡くなられたこと自体も、大きなつまずきだが、こともあろうに、その12使徒の一人、ユダがイエスを裏切り、当局の手引きとなって、イエスを直接死に追いやったことは、それに勝るとも劣らない恥と言うべきこと。しかし、イエスの復活後、イエスを信じて従っていったものにとって、そうした人間的な弱さや失敗は、神の救いの業、また、人間への神の愛を表すものとして、無視することのできない大事な要素であったことを忘れてはならない。
 ユダは師、イエスを裏切る、そして、師はそれをあらかじめご存じであった。にもかかわらず、それを留めようとせず、むしろ、それに自らを委ねられた。裏切りは、悪であり罪である。裏切ったものの責任は逃れることが出来ない。しかし、裏切りは、突然、突発的に起きたことではない。ユダには、いつからか、イエスの考えにはついて行けない、イスラエルを救うメシアではありえない、という思いが強くなっていったのではないか。そして、最終的に、ユダは、冷徹な計算、損得勘定によって、師を裏切る決断をしたに違いない。その証拠に、今日の朗読のはじめに、ユダは、祭司長のもとに行って尋ねる、「あの男をあなたに引き渡せば、幾らくれますか」とある。
 ユダは、他の使徒以上に、優れた才能に恵まれた男だったかもしれない。使徒団の会計を任されていたこともそれを証している。残念ながら、彼には、イエスを愛する心、人間の思いを超えた神の慈しみに開かれた心がなかった。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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