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教皇の意向:教育を受ける権利 (1月)

年間第三水曜日(1/29)

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聞く耳のある者は聞きなさい

🌸 第一朗読 (ヘブライ10.11-18)

ヘブライ人への手紙

 11すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。 12しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、 13その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 14なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
 15聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。
 16「『それらの日の後、わたしが
 彼らと結ぶ契約はこれである』と、
 主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、
 彼らの思いにそれを書きつけよう。
 17もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」
 18罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。

🌸 答唱詩編 詩編110 典159 ①②

:門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。

神はわたしの主に仰せになる。
「わたしの右にすわれ、はむかう者をおまえの足台とする。」
神は王しゃくを持つあなたをシオンから起こされた。
はむかう者の中で治めてください。【答】

生まれた日からあなたには王の威厳が備わっている。
あなたは朝の露のように生まれ、光り輝く。
「メルキゼデクのように、おまえは、水遠の祭司。」
これはゆるぎない神のことば。【答】

🌸 福音朗読 (マルコ4.1-20)

マルコによる福音

 1〔その時、〕イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 2イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 3「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 8また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 9そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
 10イエスがひとりになられたとき、十二人と、イエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。 11そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。 12それは、
『彼らが見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、理解できず、
こうして、立ち帰って赦されることがない』
ようになるためである。」
 13また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。 14種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。 15道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。 16石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、 17自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。 18また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、 19この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。 20良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 有名な種まきのたとえ、しかし、良く読むと「種を蒔く人のたとえ」とある。「種を蒔く人」とは、だれよりも、まず、神の言葉を、種を蒔くように語り続けるイエス自身。そして、イエスから教えを聞き、それを自分のものにし、人々に語ろうとする弟子たちのこと。
 いくら種を蒔くように御言葉を語っても、道端に落ちた種が烏についばまれてしまうように、すぐに忘れてしまう人がいる。固い石だらけの土地に落ちた種のように、根を深く降ろすことができずに干上がってしまう人。茨の間に落ちた種のように、様々な思い煩いでこころが一杯で、とても成長することができない人もいる。しかし、どこかに必ずよい土地があって、そこでは種が何十倍もの実りをもたらすように、御言葉は必ず実を結んでゆく人もいる。だから、どれほど、失望落胆することがあっても、あきらめずに、実を結ばせてくださる神に信頼して働きなさい、という教えだ。
  しかし、このたとえは、13∼20節に説明があって、少し観点の違う解釈がなされている。中心は、種を蒔く人でなくて、種が蒔かれる土地、つまり言葉を聞く人の心に移っている。すると、道端や石地、茨ではなく、よい土地になりなさい、という教え。この方が分かりやすいし、教会はずっと、その意味で解釈してきた。しかし、近年、聖書学の研究が進み、本来、イエス自身が語ったのは前者でないか、とされている。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。