すべて多く与えられた者は、多く求められ、
集会祈願
🌸 第一朗読 (エフェソ3:2-12)
使徒パウロのテモテへの手紙
2〔皆さん、〕あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 3初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。 4あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。 5この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 6すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。 7神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 8この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 9すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 10こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、 11これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 12わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。
🌸 答唱詩編 詩編イザヤ12:4,5 典164 ②③
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (ルカ12:39-48)
ルカによる福音
39〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 40あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
41そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、 42主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 43主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 44確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 45しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 46その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 47主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 48しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るから。」イエスの弟子に求められるのは、思いがけないときに帰ってくる主人を待つ僕に求められる態度。
現代人は、「思いがけない」ことが苦手である。「想定外」という言葉もよく聞く。その裏に、すべては管理され、予定通りに事が進む、という思い込み。個人の生活においても、組織の運営においても、毎日、日課があり、来週のこと、来月のこと、さらには1年先、2年先まで、予定表がある。時に、一分、一秒まで決まっているかもしれない。それが少しでも狂うとパニックになる。電車やバスが、時間通りに来ない。搭乗予定の飛行機が飛ばない。そんなことはあってはならないし、あれば、必ず、責任を追及される。どこかで、時間は人間が管理するもの、人間が支配するもの、人生も自分のもの、という先入観が潜んでいる。文明が、技術の進歩が生み出した、傲慢な思い込みかもしれない。
イエスが生きられた時代、世の終わりが近い、という思いが社会に浸透していた。どこかに緊張感があった。だから、イエスの言葉には迫力があった。しかし、イエスの十字架の死も、エルサレム神殿の崩壊も、世の終わりにつながらなかった。いつともしれない終わりの前に、緊張感が薄れ、退廃的空気が流れていたのかもしれない。 しかし、一人一人の人生の終わりは、必ず来る。しかも、思いがけないときに。だから、今の時を大事にし、その時のために用意していなさい、とイエスは言われる。(S.T.)
じつはひそかにいいなあとおもっているあるしょうきょうくのじょせいに、よしおかりほってどうおもうとたずねたら、おこられた。ぐすん。
ときおの、ながせくんに、らいばるいしきもつのも、おばかさんのじんせいだが、ぼくだって🥰こいずみきょうこのさいんもってるよ。
時計で測る死と「時間の花」の死は似て非なるものだろう。時間の花もいずれ枯れる。でも、時計で測ることはできない。だからと言って命あるものに死が訪れない訳ではない。さらにひっくり返せば、死は種を撒く。その点で生と死は連続している。「個」を実体化させると死は終焉になってしまう。母の臨終に立ち会ったとき、彼女は死にゆくことに希望を見いだした。それに私は立ち会った。さて、「管理しないと生徒は何もしない」ともはや故人となった管理職が教員を管理していたな。
4年前の父の死について考えていたら眠ってしまい起きたら秋山師の濃厚な文章があった。
まず結語について。
管理していることがバレたら犯罪だからだろう。父本人と母と私以外、人々は父がその日に死ぬことを知っていた、つまり管理していた。地域ぐるみ殺人が横行してるなんてバレたら今の日本のように信頼を失うだろう。同じことは「人権」を主張する同盟国にも起きている。管理された戦争をはじめ管理された死は日常にあふれている。
『モモ』について。
実はちゃんと読んでないのに、小泉今日子が雑誌で推薦していたこともあり、天安門事件直前、某人権団体労組委員長の3歳の長女の誕生日にプレゼントした。
結構大きな本だし包装してあったから、
きっと期待と好奇心で、
ビーっと包装紙を破いたが、
本だった。
その子は何も言わず、お父さんが作ってくれた手料理の続きを食べた。あの間が、現場を彼女お気に入りのイケメン早大生に任せ僕を夜の憲法の授業へと走らせた。
エンデの言葉について。
ぁ!あと2時間ちょっとで目覚ましが鳴る!
僕の欲求不満をエンデは不完全と看破した。喰う寝る遊ぶは人生の基本!
時計に縛られながらも(ヨハネ21章18節参照)、完全な者をめざそう!
マタイ5章43節以下。
小泉今日子の推薦はもっとあとだったかもしれない。
そして小泉の偉大さは雑誌で推薦した本は実は読んでなく周囲がビジネス・モデル!として、そう言えと言われるままにしたと後日告白したことだ。
故ミヒャエル・エンデが、「モモ」で、「時計とは極めて不完全に時間を表したものに過ぎない」と書いている。これを浪人時代に読んだとき、自分が待ちに待った言葉に出会った感じがしてぶっ飛んだ。さっそく翻訳者に手紙を認めた。晩年、エンデは教祖のように祭り上げられた。本人は否定し嫌がっていた。なお、ドイツでは「モモ」を反核集会に持参すると聞いている。日本ではどうなのか?話は変わるが、管理する奴ほど「管理」という言葉を使うのに抵抗を持つようだね。
ディアス神父様まで帰天されてしまった。
最近、神さまのテンポが速いと、ある小教区の事務局員と陰口を言った。
神さまへの不満は、告訴告発審査請求云々という手続きも不要だし、揉み消されたり逆ギレ・逆恨みされたりしないし、まして組織的隠蔽や口裏合わせなんてある訳ないから、気楽でよい。
ガンコなクリスチャン・ファミリーか、お寺の出身かと思っていたN師の背後に、スペイン無敵艦隊司令官ディアス師がいたとは妙に納得である。
N師を四ツ谷界隈で見かけると安心する。
漱石や透谷らが嘆いた通り未だ日本は流されちゃってる国家だが、まだ日本は大丈夫かな、と思ったりする。
社会生活上のあらゆる締め切りを突破することを旨とし生きて来た感がある私だが、分かち合いにある通り、唯一偉大な締め切り・死がある。
アヴェ・マリア
恵みに満ちた方、主はあなたともにおられます
あなたは女のうちで祝福され御胎内の御子イエスも祝福されています
神の母聖マリア
私たち罪人のために
今も死を迎える時も
お祈りください
アーメン
昨日も車で三十分の店舗に応援に行った。そこで元トラック運転手の女性と出会った。職場がやたらIT化機械化され過ぎて働きずらいということで一致した。
福音は同じ管理者という言葉を使っているが主人は管理者に任せている。我々が高校時代に徹底批判した管理教育とは違う。
ディシプリンかコントロールか。
主を畏れることは知恵の初め。
主の弟子となることは人間のはじまり。