天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。
聖イグナチオ-ロヨラ-司祭 (記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (エレミヤ15:10、16-21)
エレミヤの預言
10ああ、わたしは災いだ。
わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。
国中でわたしは争いの絶えぬ男
いさかいの絶えぬ男とされている。
わたしはだれの債権者になったことも
だれの債務者になったこともないのに
だれもがわたしを呪う。
16あなたの御言葉が見いだされたとき
わたしはそれをむさぼり食べました。
あなたの御言葉は、わたしのものとなり
わたしの心は喜び躍りました。
万軍の神、主よ。
わたしはあなたの御名をもって
呼ばれている者です。
17わたしは笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく
御手に捕らえられ、独りで座っていました。
あなたはわたしを憤りで満たされました。
18なぜ、わたしの痛みはやむことなく
わたしの傷は重くて、いえないのですか。
あなたはわたしを裏切り
当てにならない流れのようになられました。
19それに対して、主はこう言われた。
「あなたが帰ろうとするなら
わたしのもとに帰らせ
わたしの前に立たせよう。
もし、あなたが軽率に言葉を吐かず
熟慮して語るなら
わたしはあなたを、わたしの口とする。
あなたが彼らの所に帰るのではない。
彼らこそあなたのもとに帰るのだ。
20この民に対して
わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。
彼らはあなたに戦いを挑むが
勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて助け
あなたを救い出す、と主は言われる。
21わたしはあなたを悪人の手から救い出し
強暴な者の手から解き放つ。」
🌸 答唱詩編 詩編56 典175①②
アレルヤ唱 典269㉝
🌸 福音朗読 (マタイ13:44-46)
マタイによる福音
〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「天の国」のたとえが続く。短いが意味深い話。天の国は、畑に隠された宝のようなもの。天の国は、高価な真珠のようなもの。はたして、あなたにとっての宝とは、あなたにとっての真珠とは何か。生涯をかけて求めている宝のようなものを、はたして持っているのか。それは人によって違うし、これでなければ、というものでもない。夢の実現であったり、メダルの獲得であったり、作品の完成であったり、人によって違う。
わたしたち信仰者にとって、より値高い宝とは、パウロが言うように、「主イエス・キリストを知ること」(フィリピ3.8)であり、それに勝る宝はないこともよく知っている。しかし、わたしたちにとって、本当に大切なことは、宝の在りかを知ることだろうか。
天の国のたとえを読んで、気が付くこと、それは、宝を「見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」こと。また「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」こと。つまり、宝がどこにあり、何であるかを知るだけでなく、それを手に入れるために、大きな犠牲を払うということが強調されている。大事なものを手に入れるために行動すること、その行動が「天の国」なのだと、言われているのではないか。
翻って、自分のことを考えると、わたしたちは宝の在りかを知っている。飽きるほど、聞いたかもしれない。しかし、はたして、それを手に入れるために、どれだけ行動しているだろうか。していないとすれば、何が行動を妨げているのだろうか。(S.T.)
🌸 聖イグナチオ・ロヨラ司祭
イグナチオ・ロヨラのマンレーサでの回心
イエズス会の創立者のイグナチオ・ロヨラは回心以前、この世の勝利と名誉のために戦う軍人でした。ところが、彼は戦争で負傷し、寝たきりの生活に。その時、退屈を紛らわせるために読んだ聖書と聖人伝によって、劇的な回心を遂げました。
彼は、今までの生き方を捨てて、イエスに従う者になろうと決心して家を出ました。ですが、その回心はまだ表面的なものでした。彼はその後、マンレーサという洞窟で約九ヶ月間、祈りと黙想の日々を過ごし、神の恵みを味わい、自分の罪や弱さを見つめ、イエス・キリストの生き方を心に刻みつけました。 そして真に生まれ変わったのです。
現代人にも必要な「マンレーサ」
現代に生きる私たちにも、このような「マンレーサ」が必要ではないでしょうか?キリスト教の信者でも、気づかないうちにキリストに倣う道から外れて、自分勝手に生きているかもしれません。そのため、時には自分自身の生き方を根本的に見つめ直し、「主キリストが私に望んでいることは何か」を聴く必要があるでしょう。
このような、現代の「マンレーサ」を提供するのがイエズス会の重要な使徒職の一つです。
「https://www.jesuits-japan.org/」より
聖イグナチオ・ロヨラの生涯
イエズス会創立の中心人物である聖イグナチオは、1491年、スペイン北部バスクのロヨラで生まれた。騎士になるために養成を受けた後、1521 年に彼の率いる軍団でバスクのパンプローナをフランス軍の攻撃から守ろうとしたが、5月20 日に城が陥落した際、イグナチオは砲弾に打たれて足に大怪我した。治療のためにロヨラに運ばれ、そこで暇つぶしに『聖人伝』と『キリスト伝』を読んだ。読みながら自分の中で世俗的な夢と霊的な憧れに心が動かされるのに気づいた。これが、後に彼の霊性として著名になった「霊の識別」の始まりだった。
エルサレムに赴いて主に仕えようと決意をした。1522年3月24日、バルセロナ近くのモンセラートに立ち寄り、聖母像の前で夜を明かし、そこに武具を置いて、巡礼者の杖を手にして近くのマンレサに向かった。数日過ごす予定が一年の滞在となり、やがてすべての人のためのものとなる『霊操』を、まず自ら体験した。
その後、エルサレムに渡ったが、現地の責任者に追い返され、バルセロナに戻った。「魂を助けたい」という望みに限られ、30歳でラテン語を、続いてアルカラとサラマンカの大学で勉学した。神学勉学の間は霊的指導をしてはならないと宗教裁判所から忠告を受けたので、1528年にパリ大学へ移った。そこでビエール・ファーヴルとフランシスコ・ザビエルに出合った。この3名と他の4名が、1534年8月15日に清貧と貞潔の誓願をたて、さらにエルサレムに行き、そこで人の救いのために一生を捧げるという約束をした。これが、後にイエズス会まで成長する種となった。
イグナチオは、1535 年に勉学を終えたが、病気になり、故郷で休養するように勧められた。仲間たちの勉学が終わり次第、全員がベネチアに集合し、エルサレムへの船を待つことにした。船出できない場合、キリストの地上の代理者に、神の国のための派遣先を委ねることにした。ベネチアで待機していた1537年に司祭に叙階され、二人ずつイタリア北部の町で司牧活動を開始した。イグナチオ、ライネス、ファーヴルが先にローマに向かった。出発前に「イエスの仲間たち」と称することにした。ローマ近くのラ・ストルタでイグナチオは「キリストと共に置かれたい」という望みが、神からのものであることを悟った。
1538 年の復活祭前に、仲間たちはローマに集合した。エルサレムに赴くのを諦め、教皇に派遣を願った。各地に派遣されると一致が危うくなると感じて、1539 年の四旬節の間毎晩集まり、修道会として一致団結するという『識別』を行った。『基本精神綱要』を作成し、教皇庁の認可を願い出た。1540年9月27日に認可が下り、イグナチオが総長に選ばれ、ローマ在住の会員は1541年4月22日に盛式誓願をたてた。それ以後、イグナチオは『会憲』を編集しながら、発展し続けるイエズス会をローマの本部から指導した。「神のいっそう大いなる栄光のために」世界の至る所に会員を派遣し、学校などの施設を設立し続けた。
1556年7月31日、一人静かに息を引き取った。
聖イグナチオ・デ・ロヨラの「自分を捧げる祈り」
主よ、
わたしの自由をあなたにささげます。
わたしの記憶、知恵、意志を
みな受け入れてください。
わたしのものはすべて、
あなたからのものです。
今、すべてをあなたにささげ、
み旨に委ねます。
わたしに、あなたの愛と恵みを
与えてください。
わたしはそれだけで満たされます。
それ以上何も望みません。