集会祈願
🌸 第一朗読 (ヤコブ4・1-10)
ヤコブへの手紙
1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。 2あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、 3願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 4神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。 5それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、 6もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。
「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる。」
7だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。 8神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。 9悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。 10主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マルコ9・30-37)
マルコによる福音
30一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。 37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスの、自分が受けようとしている苦しみと死、そして復活についての2回目の予告。「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」とある。ペトロだけでなく、弟子たち皆にとって、先生が受けることになる受難は考えられないこと。考えるだけでも恐ろしいこと。その意味が分かるのは、師が十字架上で死なれ、その後復活されてからである。
その頃弟子たちの頭にあったのは、だれが一番偉いか、ということ。どんな時代でも、どの世界でも、人間なら考える自然なこと。イエスと生活を共にして、イエスの言葉をいつも耳にしてきた弟子たちの心の実態はこのようなものだった。そんな弟子たちの思いを一蹴するかのように、イエスは、一人の子どもの手を取って彼らの真ん中に立たせる。
マタイは、そのような場面で、「子どものようにならなければ天の国に入れない」という。ここでは、そうでない。
「このような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのだ」と言う。当時の社会は現代の社会と違う。子どもは、人権も尊厳もない、厄介者でしかない、そのように軽んじられているものとイエスは自らを同化される。そんな子どもを受け入れることで、イエスに近づき、イエスの傍に侍るものとなることができる。
3回目の受難の予告は10章に記されているが、そこでも、だれがいちばん偉いかという議論が再現される。(S.T.)