年間第三十二火曜日(11/12)
わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです
集会祈願
🌸 第一朗読 (テトス2:1-8、11-14)
使徒パウロのテトスへの手紙
1〔愛する者よ、〕あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。 2年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。 3同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。 4そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子供を愛し、 5分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです。 6-7同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、 8非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。
11実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。 12その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 13また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。 14キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
🌸 答唱詩編 詩編37 典166 ①⑤
答:喜びに心をはずませ、救いの泉から水をくむ。
神により頼み、よいわざに励み、
約束の地を住まいとし、真実をかてとせよ。【答】
神に従う人は神に支えられる。
彼らのゆずりはいつまでも続く。【答】
アレルヤ唱 典270 31B
アレルヤ、アレルヤ。わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のもとに行く。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ルカ17:7-10)
ルカによる福音
7〔そのとき、イエスは言われた。〕あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。 8むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。 9命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。 10あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
畑や野原で終日、働き、疲れ果てて戻ってきた僕を、主人は、夕食の席に着かせて労をねぎらうだろうか。むしろ、すぐに夕食の準備をさせ、給仕をさせるのではないか。なすべきことをして主人に感謝される僕など、どこにいるか。イエスの時代ならともかく、今の時代、そもそも「僕」という言葉自体、時代錯誤もはなはだしい、と思う人もいよう。
しかし、この個所の少し前を読むと、この話はイエスと使徒たちとのやりとりの中の話であることがわかる。「使徒たち」と言えば、誕生した教会の柱、あるいは、高い地位、身分にあることが想定される。その使徒となるべき者に対するイエスの言葉と理解すると、そこには、常識とはまるで違う、新しい見方が含まれていることに気づかされる。
イエスは、弟子たちに対して、いろいろな教えを説かれたが、その中でも、上に立つ者に対して、徹底して「へりくだり」を説かれた。「あなたがたの中で偉くなりたいものは、皆に仕える者、皆の僕になりなさい」(マタイ20.26∼27)と。これがイエスのまったく、新しい考え方だ。そして、それは単なる教えではなく、イエス自ら模範を示して、生きられた姿だ。実際、最後の晩餐の席でイエスは「わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22.24)と言われた。さらに、パウロは言う、「キリストは、神の身分でありながら、・・・僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピ2.7)と。
主がそのような生き方をされたのなら、主に従う者も同じ生き方を身に着けようとするのは当然ではないか。(S.T.)