年間第十四火曜日(7/9)
収穫は多いが、働き手が少ない
集会祈願
天地万物を治められる神よ、あなたの民の祈りを慈しみをもって聞き入れ、世界に平和への道を示してください。聖霊による一致のうちに、あなたと共に神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (ホセア8:4-7、11-13)
ホセアの預言
〔主は言われる。
イスラエルは〕王を立てた。
しかし、それはわたしから出たことではない。
彼らは高官たちを立てた。
しかし、わたしは関知しない。
彼らは金銀で偶像を造ったが
それらは打ち壊される。
5サマリアよ、お前の子牛を捨てよ。
わたしの怒りは彼らに向かって燃える。
いつまで清くなりえないのか。
6それはイスラエルのしたことだ。
職人が造ったもので、神ではない。
サマリアの子牛は必ず粉々に砕かれる。
7彼らは風の中で蒔き
嵐の中で刈り取る。
芽が伸びても、穂が出ず
麦粉を作ることができない。
作ったとしても、他国の人々が食い尽くす。
11エフライムは罪を償う祭壇を増やした。
しかし、それは罪を犯す祭壇となった。
12わたしは多くの戒めを書き与えた。
しかし、彼らはそれを無縁のものと見なした。
13わたしへの贈り物としていけにえをささげるが
その肉を食べるのは彼らだ。
主は彼らを喜ばれない。
今や、主は彼らの不義に心を留め
その罪を裁かれる。
彼らはエジプトに帰らねばならない。
🌸 答唱詩編 詩編130 典117②④
答:主は豊かなあがないに満ち、慈しみ深い。
あなたが悪に目を留められるなら、
誰がみ前に立てよう。
しかし、あなたの赦しのために、
人はあなたを恐れ尊ぶ。
イスラエルよ、イスラエルよ、
主を待ち望め、
主はすべての罪から、
イスラエルを救われる。
アレルヤ唱 典265②
アレルヤ・アレルヤ。わたしは良い牧者。わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。アレルヤ・アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ9:32-38)
マタイによる福音
〔その時、〕悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。 33悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。 34しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。
35イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 36また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 37そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 38だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
奉納祈願
聖なる父よ、あなたは、十字架に上げられたキリストの奉献によって私たちを集め、新しい民としてくださいました。教会に、平和と一致の恵みを豊かにお与えください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
命の源である神よ、一つのパンを共に受け、主のうちに結ばれた私たちが、平和と一致のために働くことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 分かち合い
イエスが口の利けなかった人を癒されたことで、人々が驚嘆した一方、ファリサイ派の人々は「あの男は悪霊の力で悪霊を追い出している」と悪態をつく。人々の反応は今も変わらない。
次いで、イエスは「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」、とイエスの働きを要約する言葉が出る。つまり、教え、福音を宣べ伝え、病気や患いをいやすこと。これは、単に人々の生活上の必要に応えることではなく、人々が潜在的に求めていること。人間がよりよく生きるため、神によって造られ、神の前にある者として、ふさわしく生きるために必要なこと。自らの生きる意味を知り、その尊厳を自覚し、神に愛されたものとして、喜びをもって生きるために必要なこと。イエスが残されたのは、そのようなことではないか。
そして、イエスの願いが続く。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」と。収穫は、父なる神がもたらすもの。しかし、その収穫のために働く人が少ない。教会では、この言葉を、司祭や修道者になる人の意味で捉えがちだが、もっと広い意味ではないか。教育の場でも、医療や福祉・介護の現場でも、働き手の不足が叫ばれている。しかし、イエスが言われる「働き手」は単なる「人材」ではない。歯車のように、組織の存続のために働き続ける人のことではない。イエスの業を見、その教えに共感し、イエスに癒され、その存在に傾倒し、イエスと共に、神の御業の実現に生涯を懸けようとする人間のこと。そんな人間が一人でも多く教会に与えられるよう、祈ろう。(S.T.)