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教皇の意向:祖国から逃れる人々 (6月)

年間第十三火曜日(7/2)

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主よ、助けてください。おぼれそうです
集会祈願

🌸 第一朗読 (アモス3:1-8、4:11-12)

アモスの預言

イスラエルの人々よ
主がお前たちに告げられた言葉を聞け。
――わたしがエジプトの地から導き上った
全部族に対して――
2地上の全部族の中からわたしが選んだのは
お前たちだけだ。
それゆえ、わたしはお前たちを
すべての罪のゆえに罰する。

3打ち合わせもしないのに
二人の者が共に行くだろうか。
4獲物もないのに
獅子が森の中でほえるだろうか。
獲物を捕らえもせずに
若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
5餌が仕掛けられてもいないのに
鳥が地上に降りて来るだろうか。
獲物もかからないのに
罠が地面から跳ね上がるだろうか。
6町で角笛が吹き鳴らされたなら
人々はおののかないだろうか。
町に災いが起こったなら
それは主がなされたことではないか。
7まことに、主なる神はその定められたことを
僕なる預言者に示さずには
何事もなされない。
8獅子がほえる
誰が恐れずにいられよう。
主なる神が語られる
誰が預言せずにいられようか。

11かつて、神がソドムとゴモラを覆したように
わたしはお前たちを覆した。
お前たちは炎の中から取り出された
燃えさしのようになった。
しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと
主は言われる。
12それゆえ、イスラエルよ
わたしはお前にこのようにする。
わたしがこのことを行うゆえに
イスラエルよ
お前は自分の神と出会う備えをせよ。

🌸 答唱詩編 詩編85 典81②③

アレルヤ唱 典269㊴

🌸 福音朗読 (マタイ8:23-27)

マタイによる福音

 〔その時、〕イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 24そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 25弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 26イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 27人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の朗読の前の箇所で、イエスは弟子たちに舟に乗ってガリラヤ海(別名ティベリア湖)の対岸に渡るように言われた。湖を渡ると、突然嵐が吹き荒れた。ガリラヤ湖ではよくあることらしい。
 マタイが「嵐」に使っている言葉は、実際には「地震」と訳すべきだ。これは終末論文学でよく使われる言葉で、神が御国をもたらすときに旧世界が揺れ動くことを意味する。共観福音書では、イエスの最終的な到来に至る出来事を描写する際にこの言葉が使われている。これは、この物語には単なる物語以上のものがあることを示している。
 波が船に押し寄せる間、イエスは眠ったままだった。弟子たちは恐れおののき、イエスを起こした:
 「主よ、助けてください。おぼれそうです。」
 イエスはあまり同情的ではなかった:
 「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」
 そして、立ち上がって風と海を叱られた。すると、たちまち風と海が静まった。
 弟子たちは驚嘆し、ある意味で今まで以上に恐れた。彼らは、嵐のことは理解できたが、イエスがなさったことは理解できなかった。
 「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか。」
 彼らの考えでは、このような力を持つことができるのはただ一人、神のみである。彼らの質問には、その答えが含まれていた。それは、彼らの師であるイエスの本当の姿を理解するためのさらなる一歩であった。
 しかし、私たちはこの物語に別の意味を読み取ることができる。マタイが書いている初代教会についての一種のたとえ話として理解することができる。それは、多くの小さな散らばった共同体や教会から成る教会だった。彼らは大きな異教的な、そしてしばしば非常に敵対的な民族に囲まれていた。それぞれの小さな教会共同体は、イエスと一緒に舟に乗っていた弟子たちのように、広大な水に囲まれていると感じていたに違いない。時には、その水は激しく怒り、彼らの舟を飲み込もうとしていた。
 同時に、彼らの主であるイエスはとても遠くにおられ、彼らの窮状に気づかず、気にもかけず、眠っておられるように見えた。今日の福音書で、彼らがイエスを「主」と呼んでいるのは、この物語が、非常に不確かな世界で孤立した共同体としての彼らの現在の状況をより指し示していることを示しているのだろう。そうすれば、彼らはイエスが本当に彼らとともにいて、とても気にかけてくださっていることに気づくだろう。そして再び平和が戻ってくる。しかし、その平和は彼らの心の中にあるのであって、彼らを取り巻く海はこれまでと同じように荒れ狂っているかもしれない。
 これは私たちが学ぶべきことだ。たいていの場合、私たちは周りの世界を変えたり、私たちを悩ませる人々を変えたりすることはほとんどできない。もしかしたら、私たちには彼らを変えさせる権利などないのかもしれない。しかし、私たちは変わることができる。異なる方法で物事を見ることを学び、反応的ではなく積極的になることを学ぶことができる。とりわけ、神がいつでも私たちの近くにいてくださること、神は知っていてくださること、気にかけていてくださること、そして、物事を取り去るのではなく、私たちがそれを乗り越え、平穏を保つのを助けてくださることを意識することを学ぶことができる。

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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