天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
集会祈願
唯一の神、すべての人を一つに呼び集めてくださる方、ここに集うわたしたちの心を照らしてください。滅びることのないキリストのことばに、いつも信頼を置くことが出来ますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (ダニエル12.1-3)
ダニエルの預言
1その時、大天使長ミカエルが立つ。
彼はお前の民の子らを守護する。
その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
しかし、その時には救われるであろう
お前の民、あの書に記された人々は。
2多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
3目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。
🌸 答唱詩編 詩編16 典98 ①②③
答 幸せな人、
神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、
わたしの受ける杯、
わたしの道を開く方。 【答】
わたしは絶えず神を思う。
神はわたしのそばにおられ、
わたしはけっしてゆるがない。【答】
わたしの心は喜びに満ちあふれ、
からだはやすらかにいこう。 【答】
🌸 第二朗読 (ヘブライ人10.11-14、18)
使徒パウロのヘブライ人への手紙
11すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。 12しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、 13その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 14なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
18罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
アレルヤ唱 典274 33B
アレルヤ、アレルヤ。目覚めていつも祈っていなさい。人の子の前にふさわしく立つことができますように。あれらや、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マルコ13.24-32)
マルコによる福音
24〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
25星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
26そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 27そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
28「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 29それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 30はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 31天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
32「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである
奉納祈願
神よ、あなたの一人子は、十字架の死によって人類を罪からあがなってくださいました。主キリストの奉献を記念する私たちを顧み、すべての人が集う永遠のうたげに招き入れてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
永遠のいのちを与えてくださる神よ、キリストのことばとからだに結ばれて祈ります。主キリストが再び来られるときまで、教会が愛と希望のしるしとなることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 分かち合い
11月も半ばになり、突然襲ってきた寒さとともに、冬の訪れをいやでも感じる日々となりました。教会の典礼も年間最後の主日となり、再来週から待降節に入ります。
毎年経験する異常気象による集中豪雨、大型台風、そして、地震・津浪といった自然災害のことを考えると、どこか深いところで、地球の終わりが迫っているのでは、という不安を感じる人が少なくありません。13年前の東日本大震災の折には、まさに、世の終わりを予感した人がいたのも事実です。
聖書に記されたイエスの言葉にも、世の終わりと、それに先立つ天変地異に関連するものがあることは、お気づきのとおりです。そして、先ほど読まれたマルコ福音書は、主イエスの「天地は滅びるが、わたしの言葉は滅びない」、という意味深い言葉を記しています。
イエスが生きておられた今から約2000年前、イスラエルには、世の終わりが近いという意識が強かったと言われます。今の時代が終わり、新しい世がやって来るという考えは、旧約時代の預言者の言葉の中にも、度々現れます。そして、メシアの到来と思われたイエスが十字架の上で亡くなると、いよいよ世の終わりが来たと感じ、さらに、紀元70年にエルサレムが滅ぼされると、今こそ、世が改まるときだ、と人々は考えましたが、終わりは来ませんでした。その代わりに、復活されたイエスが、また、いつか、大いなる力をもっておいでになる、再臨の時が来る。しかし、それがいつなのか、だれも知らない。父だけがご存じである、だから、その時を用意して待つようにという考えが教会の中に広がりました。
その時、つまり、「人の子が大いなる力を帯びて来られる」その時まで、いつも、用意して生きなければならない。様々な人を惑わす言葉、考え、行動に踊らされることなく、いつまでも変わることのないイエスの言葉、滅びることなく、わたしたちの道を照らし、歩みを確かなものとするイエスの言葉に信頼をおいて、生きて行きなさいと、教会は教えます。
今日は、「貧しい人のための世界祈願日」です。フランシスコ教皇の意向に従って、世界中に溢れる貧しい人々の叫びに耳を傾けましょう。様々な理由で、故郷を離れ、国を出、行き先の見えない不安な旅に出ざるを得ない多くの難民に心を向けましょう。彼らの願いを聞き、それに応え、彼らを貧しさから解放しようとされる、神ご自身の心に倣い、わたしたちも、自分にできることをもって、キリストの思いを実現してゆくよう努めましょう。
今日はまた、七五三の祝福が行われています。数が少なくても、教会に属する子どもたちは、わたしたちの大事な宝です。今まで、ご両親や、多くの人々のお世話によって、子どもたちが健やかに成長できたことを感謝し、さらにたくましく成長し、親御さんはもちろんのこと、わたしたち教会に集う皆にとって喜びとなり、誇りとなるよう、主の豊かな導きと支えをお祈りしましょう。(S.T.)