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教皇の意向:子を失った親 (11月)

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年間第二十三主日 B年(9/8)

この方のなさったことはすべて、すばらしい。
集会祈願

すべての人の希望である神よ、あなたはひとり子イエスを遣わし、人々を悩みや苦しみから解放してくださいました。きょう、わたしたちの耳を開き、救いのことばを聞かせてください。また、わたしたちの口を開き、あなたへの賛美を歌わせてください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (イザヤ35.4-7a)

イザヤの預言

4心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」
5そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
6そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。
7熱した砂地は湖となり
乾いた地は水の湧くところとなる。
山犬がうずくまるところは
葦やパピルスの茂るところとなる。

🌸 答唱詩編 詩編146 典19 ①③④

答 いのちのあるすべてのものは、神をたたえよ。

心を尽くして神をたたえよ。
命のある限り神をたたえよ。
わたしは生涯神をほめうたう。
神はとこしえにおさめられる。 【答】

神はとこしえにまことをしめし、
貧しい人のためにさばきをおこない、
飢え渇く人にかてをめぐみ、
捕らわれ人を解放される。  【答】

神は見えない人の目をひらき、
従う人をあいされる。
身寄りのない子供とやもめを支え、
逆らう者の企てを砕かれる。  【答】

🌸 第二朗読 (ヤコブ2.1-5)

使徒ヤコブの手紙

 1 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。 2あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。 3その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、 4あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。
 5わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。 

アレルヤ唱 典270 23B

アレルヤ、アレルヤ。イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民に病をいやされた。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ7.31-37)

マルコによる福音

 31〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。 32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。 33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。 35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。 36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。 37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

奉納祈願

いつくしみ深い神よ、あなは、主イエスの死と復活をとおして救いの力を現わしてくださいます。主の過越を記念するわたしたちが、主と一つに結ばれる喜びを深く味わうことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

救いの源である神よ、キリストのいのちに生かされる喜びを、多くの人と分かち合うことができますよう導いてください。わたしたちの日々の生活が、あなたへの賛美となりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 9月に入り、パリオリンピックに次いで、パラリンピックも終わろうとしています。かつて、様々な障害を抱えておられる方に、どうして健常者と同じような厳しいスポーツをさせるのかと、疑問をいだいていた自分ですが、彼らの秘められた努力と素晴らしい結果を目にして、目からうろこの思いをしたのが正直な感想です。
 考えてみますと、わたしたちのまわりにも、障害をもっておられる方が少なからずおられます。先天性のものもあれば、病気や事故で障害を負う身になった方もおられます。狭い意味での障害とは言えなくても、加齢とともに聴覚が衰えたり、視力が落ちたり、足腰が弱くなったりして、そのために行動が制限され、つい感情的になり、人とのコミュニケーションが難しくなり、その結果、孤独になったり、行く末に不安を感じたりする方もあるでしょう。
 他方で、障害をもつことで、健康時とは違った感覚が研ぎ澄まされ、新しい世界を開かれる方もおられます。かつて、視覚障害をお持ちの方から、目を閉じて何が聞こえてくるか、静かに過ごしてみてください、と言われたことがあります。普段聞き逃している、鳥や虫の鳴き声、風のそよぐ音、雨だれ等、人間が生み出す騒音とは違う様々な音が聞こえてくるようになり癒されたことを思い出します。神の世界への気づきというものも、そうしたことと無関係ではないようです。
 今日の第一朗読で読まれる「イザヤの預言」の中に、こんな言葉がありました。「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」と。預言者は、やがて訪れるメシアの時代に起こる不思議な神の業について語っています。それは、人々が心の中で待ち望みながら、同時に、あきらめるしかない、信じられない現実だったかもしれません。預言者の言葉は続きます、「荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる」と。先日、20年におよぶ駐留を終えて米軍が撤退したアフガニスタンの砂漠を、緑の大地に変えた中村哲さんの偉業が思い出されます。
 しかし、預言者が語った言葉は、数百年の後、イスラエルの地に現れた神の子イエスを通して、現実のものとなりました。マルコの福音でお聞きになったように、文字通り、耳の聞こえない人が、イエスのしぐさ、そして「エッファタ(開け)」という言葉によって、耳が聞こえ、口が利けるようになったのです。イエスによって、目の見えない人が見えるようになり、歩けない人が自分の足で立って歩けるようになったことを、福音書は伝えています。しかし、イエスは、この世界からすべての病や障害を取り去られたわけではありません。イエスの時代にも、そして、現代に至るまで、病気や障害の問題は、人類に課せられた大きな課題として残っています。イエスは、むしろ、そうした癒しの業を通して、わたしたち人間の心に巣食っている、神の世界に自らを開くことを妨げる障害を取り除こうとされたのです。人が神の世界を見る、それこそ、神がイエスを通して、望まれたことでした。
 わたしたち、自分が健常者だと思っている人は、障害を持つ人に同情することはあっても、自らのうちに潜む障害に気づいていないことが少なくありません。自分は見えている、聞こえている、何の不自由もない、と思っているときこそ、思い起こさねばならない言葉があります。イエスが、盲人の目を開かれた後に、ユダヤ人との間でかわされた会話の結びの言葉です。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ9.41)。わたしたちが自らの障害に気づくためには、病気や事故だけでなく、神からの恵み光が必要です。すべてが思い通りに進むとき、人はいつの間にか、自分の人生は自分が主人であるような錯覚を抱きます。しかし、突然、思いがけないことが起きる時、人は気づかされます。自分の人生、また、この世界は、自分が中心にあるのではないことを。そして、自分には見えていると思いながら、実は、何も見えていないことを。かつて、イスラエルがエジプトの奴隷の地から約束の地へと向かう途中、40年もの間、砂漠をさまよったことには深い意味がありました。それは、「人がパンだけで生きるのではなく、神の口から出る言葉によって生きる」(申命記8章)ことを知るためだったのです。
 この自分の思うままにならない現実の中で、人はそれでも、自分の狭い世界にこもりながらも、スマホ・携帯・パソコン・オンライン等、現代の優れた技術のおかげで、自分には何の不自由もない、と錯覚しているかもしれません。果たして、そのような機器が、わたしたちが最も必要としている「神の世界」を見ることを妨げているとしたら、そうしたものからも解放される必要があります。この不自由なときだからこそ、自分がどれほど見えていないか、聞こえていないか、そうした自分の貧しさに気づいていないか、神の光によって見させていただきましょう。(S.T)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。