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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十六主日 B年(7/21)

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さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい
集会祈願

恵み豊か神よ、あなたを仰ぎ見る民に、聖霊を惜しみなくお与えください。信仰、希望、愛に燃えて、いつもあなたの言葉に従うことができますように。聖霊による一致のうちに、あなたと共に神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (エレミヤ23.1-6)

エレミヤの預言

 1「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。 2それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
 「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
 3「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。 4彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。
 5見よ、このような日が来る、と主は言われる。
 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
 王は治め、栄え
 この国に正義と恵みの業を行う。
 6彼の代にユダは救われ
 イスラエルは安らかに住む。
 彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

🌸 答唱詩編 詩編23 典123 ①②④

 主はわれらの牧者
  わたしは乏しいことがない。

神はわたしを緑のまきばに伏させ、
いこいの水辺に伴われる。
神はわたしを生き返らせ、
いつくしみによって
正しい道に導かれる。 【答〕

たとえ死の陰の谷を歩んでも、
わたしは災いを恐れない。
あなたはわたしと共におられ、
そのむちとつえはわたしを守る。 【答】

神のめぐみといつくしみに
生涯伴われ、
わたしはとこしえに
神の家に生きる 【答】

🌸 第二朗読 (エフェソ2.13-18)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

 13〔皆さん、〕あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
 14実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 17キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 18それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

アレルヤ唱 典272 16B

アレルヤ、アレルヤ。羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ6.30-34)

マルコによる福音

 30〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。 31イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 32そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。 33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。 34イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

奉納祈願

神よ、あなたの独り子は、十字架の死によって旧約の数々のいけにえを完成されました。アベルの時と同じように、あなたの民の供え物を受け入れ、祝福してください。一人ひとりの捧げるものが、すべての人の救いに役立つものとなりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

慈しみ深い父よ、あなたの民の力となってください。主の食卓で養われた私たちが、古い人を脱ぎ捨て、新しいいのちに生きることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 (今日は、このミサの中で、一人の男の子の洗礼があります。
 幼児の洗礼によく表れるように、洗礼は、決して、本人の努力や準備の結果ではありません。何よりも、それは神様の無償の恵みです。そして、人となられた神の子、イエスの十字架の奉献がもたらした恵みです。洗礼によってこの大きな恵みに与る幼児が、生涯を通して応えてゆくことができるよう、また、この教会にとっても大きな恵みの時に、わたしたち皆がいただいている洗礼の恵みを新たに心に刻み、困難な状況の中にあっても、信仰を一層大切に生きてゆくことができるよう祈りましょう。)

 今日のミサの朗読では、牧者という考えが強く出ています。「わたしはよい牧者である」と主イエスは言われましたが、マルコ福音書の中で、弟子たちにとっての牧者であるイエスは、派遣から戻って来た弟子たちに、「人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われます。それでも、人々はイエスが舟に乗って行かれるところに、先回りをして押し寄せてきた、とあります。司祭もときどき、休もうとした矢先に、人が訪ねてくるという経験をします。そして、そうした群衆を見て、イエスは「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」と結んでいます。イエスは、まさに、よい牧者を文字通り生きておられたのです。

 第一朗読のエレミヤの預言には、「羊の群れを滅ぼし散らす」悪い牧者の話がありました。イスラエルの王たちが、自分たちの生活にばかり目を向け、人々の生活や苦しみに目を留めなかったことを暗示しています。預言者の教えを汲み、イスラエルの歴史を綴った列王記の記者は、そうした王たちの悪徳ゆえに、国が滅ぼされ、捕囚の憂き目を味わうことになった、と結論付けています。そして、預言者はそうした悪い牧者にかわって、神ご自身が牧者としてイエスラエルを牧し、散らされた国々から集め、さらには、ダビデの子孫からふさわしい牧者が生まれることを約束されると記します。

 教会にも、よい牧者が必要です。教会を管理し、皆を支配する管理者ではなく、人々に寄り添い、支える牧者を必要としています。様々な問題を抱える信徒の世話をするにふさわしい牧者が与えられるよう祈りましょう。同時にわたしたちも、皆、何らかの形で牧者の使命に与っています。家庭において、子どもたちを優しい心をもって養う父であり母であるように、また、健康に恵まれない家族、年老いた親、人生の様々な重荷を負う身近な方々に寄り添う牧者として生きることができますように、そして、自分に与えられた職場や組織での立場において、権威や力を振るうのではなく、むしろ皆に仕える僕として、主イエスの生き方に倣って生き、委ねられた人々の間に一致をもたらすものとなることが出来るよう祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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