その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい
集会祈願
🌸 第一朗読 (二テモテ4:10-17a)
使徒パウロのテモテへの手紙
10〔愛する者よ、〕デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っているからです。 11ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。 12わたしはティキコをエフェソに遣わしました。 13あなたが来るときには、わたしがトロアスのカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙のものを持って来てください。 14銅細工人アレクサンドロがわたしをひどく苦しめました。主は、その仕業に応じて彼にお報いになります。 15あなたも彼には用心しなさい。彼はわたしたちの語ることに激しく反対したからです。
16わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。 17しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
🌸 答唱詩編 詩編145 典63 ②③
アレルヤ唱 典277 (聖ルカ)
🌸 福音朗読 (ルカ10:1-9)
ルカによる福音
1〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
ルカは、パウロの宣教につき従った人物として、コロサイの教会への手紙や、テモテへの第二の手紙に名前があげられているが、それ以上のことはわからない。むしろ、ルカの名前で書かれた「ルカ福音書」が、教会の発展、また、キリスト教の霊性に残した影響ははかりしれない。ルカの福音書と使徒言行録の著者として知られるルカは、四つの福音書の中で特別な役割を演じている。
まず、わたしたちにとって馴染み深い、マリアへのお告げ、飼い葉桶に眠る幼子イエスの誕生、12歳の時の神殿での出来事を含むナザレでの生活について知るのはルカ福音を通して。また、イエスがなさった多くの印象的な説教、放蕩息子、よいサマリア人、金持ちとラザロ、ファリサイ派の人と取税人等のたとえ話。あるいは、涙でイエスの足を洗った罪の女、貧しいやもめの献金、十字架に架けられ、イエスからパラダイスを約束された盗賊の話し等、これらは、いつくしみに満ちた神の愛を表わすイエスの折々のふるまいとともに、ルカだけが伝え、主を知るための宝の源泉と言ってよいだろう。
福音では、72人の弟子の派遣の話が読まれた。神のいつくしみにのみ信頼して出かけてゆく弟子たちは「神の国は近づいた」と言いなさい、とイエスに命じられる。それは、まさに、ルカが福音書を通して告げようとした福音であり、イエスを通して見えるもの、聞くことのできるものとなった神のいつくしみの愛なのだ。(S.T.)
おろかなぼく。あと2分で目覚ましが鳴る!
ついコメント欄には韻文で書いてしまう。
と言うか、基本ぼくは韻文だ。
以前、リーゼンフーバー師と話していて、つい、
神父様は散文、ぼくは韻文!
などとエラそうに言ってしまったことがある。
自己実現的預言と言えようか。
ああ、イエスはすごい!
預言をすべて実現した。否、この世においては、まさに
成し遂げられた!
let it be to me according to your word
ルカと言えば23章34節。十字架上のイエスの言葉。
父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。
そして、私も赦します。
弁護者としての仕事!
戦後、貧しかった。あたたかい経験したことない。
あなたの信仰という恵みで目覚めなさい。
父母のことをもう一度考えなさい。
侵略戦争を草の根で支えた軍国少年少女の根本発想から未だ解放されてない父母への怒りを告白した2008年11月、聴罪司祭は僕に直言してくれた。
神のいつくしみにのみ信頼して出かけてゆく弟子たち
ありがとうございます!
はっきりした。
福音書だけだと、1人より2人の方がいい?とか
財布ホントに持ってかないの?
とか
挨拶だの報酬だのの話でどっぷり世間に染まりそうだった(あるいは世間への反抗としての適応障害??何でも病気化する社会自体が病んでいる)。勿論、この世でのよきコミュニケーションの手段としてはこれらは大切だが。
在朝イエズス会士の確かな文章に憧れる。
よくもワルくも僕は浪人。
さまよわないためには
キリスト、マリア、イエスの仲間!