Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:司祭職や修道生活への召命 (2月)

年間第七土曜日(3/1)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。

🌸 第一朗読 (シラ17・1-15)

シラ書

1主は、人間を土から造られ、
再び、土に帰される。
2主は、彼らに一定の寿命を与え、
地上のものを治める権能を授けられた。
3主は、御自分と同じような力を彼らに帯びさせ、
御自分に似せて彼らを造られた。
4主は、すべての生き物に、人間への恐れを植え付け、
こうして、人間に獣や鳥を支配させられた。
5〔人間は、主の五つの能力を使うことを許された。
主は、六番目として、彼らに知性を分け与え、
七番目として、それらの能力を解釈する理性を授けられた。〕
6主は、彼らに、判断力と舌と目を与え、
耳と、よく考えるための心とを授けられた。
7主は、悟りをもたらす知識で彼らを満たし、
善と悪との区別を示された。
8主は、彼らの心に、御自分への畏れを植え付けられた。
彼らに、御業の偉大さを示すためであった。
〔そして、くすしき御業を代々誇ることを人々に許された。〕
9彼らは、御業の偉大さを宣べ伝え、
10聖なる御名をほめたたえる。
11主は、彼らに知識を授け、
命をもたらす律法を受け継がせられた。
〔今のままでは、死すべき者であることを、彼らが悟るために。〕
12主は、彼らと永遠の契約を結び、
御自分の裁きを示された。
13彼らの目は、主の大いなる栄光を見、
彼らの耳は、主の厳かな御声を聞いた。
14主は言われた。「あらゆる不正を警戒せよ。」
そして、隣人に対する掟を各自に授けられた。

15人間の歩みは、常に、主の前にあらわであり、
主の目を逃れることはできない。

🌸 答唱詩編 詩編103 典93⑤⑥

:心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

人の日々は草のよう、
その場所を尋ねてもだれも知らない。
主はわたしたちの姿を知り、
ちりにすぎないことを心に留められる。【答】

神の正義は子孫に及び、
契約を守る人、さとしを心に留めて行う者に及ぶ。
神はその座を天にすえられ、
そのカはすべてのものに及ぶ。【答】

アレルヤ唱 典269(17A)

アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ10・13-16)

マルコによる福音

 そのとき、13イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 福音は、短いが含蓄の深い言葉。祝福を求めてイエスのもとに子どもを連れてきた人々を弟子たちが𠮟った、とある。弟子たちがことのほか、冷たく狭量な人間だったわけでなく、当時のユダヤ人社会では、子どもの人権など認められず、もっぱら厄介な邪魔者としか見られなかったという。それにしても「叱る」とは、かなり激しい言葉。
 それにも勝って、イエスは憤って言われる。「憤る」は非常に激しい怒りを意味する動詞。イエスは時代に先んじて、小さな子どもの人権を認めておられたのだろうか。そうではなくて、子どもに代表されるような、小さな、弱く、無力な人間こそ、神の国に入るにふさわしいものだと、イエスは言われるのだ。子どもは、大人が考えるほど、純粋でも、素直でもないかもしれない。しかし、大人のようには、知らないことが多いし、出来ないことも多い。むしろ、知らないこと、できないことばかりかもしれない。それでも、それで悩むこともなく、それを当たり前のことと受け止めている。大人はそんな、子ども時代のことを忘れ、卒業してしまったと思っている。しかし、「星の王子様」の著者が言うように、わたしたちは、皆かつては子どもだった。聖書も、そんな子どもだったことを忘れてしまった大人に向けて書かれた本なのかもしれない。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。