聖スコラスチカおとめ 記念日
集会祈願
🌸 第一朗読 (創世記2.4b-9、15-17)
4主なる神が地と天を造られたとき、 5地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
6しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 7主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。 16主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。 17ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
18主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
🌸 答唱詩編 詩編104 典69 ①②
アレルヤ唱 典268 ⑲
🌸 福音朗読 (マルコ7.14-23)
マルコによる福音
14〔そのとき、〕イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 15外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」 16† 17イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。 18イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。 19それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」 20更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
弟子たちが手を洗わずに食事をしたことをファリサイ派の人々が非難した話の続き。イエスは言われる、「外から人の体に入るもので人を汚すことのできるものは何もなく、人の中から出てくるものが人を汚すのである。(7.15)と。ユダヤ教の人々は、人が生活してゆく上での細かい規定を守ることに熱心だった。手洗いを始め、食物規定という、食べてよいものとそうでないものを峻別する掟に従い、食べてはいけないものを「汚れたもの」として忌避していた。
イエスは、そうした考え方は、人間が作ったもので、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言われる。わかりの悪い弟子たちには、「外から人の体に入るものは、・・・人の心の中に入るのではなく、外に出される。こうしてすべての食べ物は清められる」と。
『創世記』にあるように、この世にあるものは、神によって造られたのであり、それ自体、汚れたものはない、とイエスは断言される。そして、マタイは「手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない」(マタイ15.20)と、はっきり記す。むしろ、人を汚すのは、人から出て来るもの、人間の心から(マタイは「口から」と言う)悪い思いが出て来るので、それこそが人を汚す、とイエスは言われる。
人間は、とかく自分が外から汚されることを心配しがちだが、自分が外の世界を汚していないか、あらためて考えることを、今の時代、特に求められているのではないか。(S.T.)
分かち合いの結語に自分自身のここ7年ほどを思い巡らすと言葉遣いが確実に乱暴・下品になったと気づく。
言い訳を言えば、社会悪との直接対決をしているうちにそうなったと言える。
かつては子どもたちの鋭い質問や批判に応えられない親や教員は「生意気言うな!」と言ったものだが、最近は発達障害等の病名をつける。
問題発言や診療や訴訟でお金儲けをしたいマスコミや医者や法律家は、言葉狩りやレッテル貼りに忙しい現代のファリサイ派。
学校、病院、収容施設、消費社会、、、発達したシステム自体が人間や地球にとって障害になっていることに気づかないのか金儲けのために黙ってる。
さて、第一朗読の創世記に「善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」とある。
十字架の聖ヨハネは「他人の善悪を考えるな。悪魔は善あるいは悪の色合いのもとにあなたをだます。これでは聖なる潜心に達することは決してできない」と言っている(十字架の聖ヨハネ小品集16ページ、愛するための自由 十字架の聖ヨハネ入門38ページ)。
自分自身のことに気をつけていたい(マルコ13:9)。