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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第五金曜日(2/10)

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この方のなさったことはすべて、すばらしい

マルコ7:37
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記3.1-8)

1主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 3でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。 5それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 7二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
8その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた。

🌸 答唱詩編 詩編32 典114 ①②

アレルヤ唱 典270 51

🌸 福音朗読 (マルコ7.31-37)

マルコによる福音
 31〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。 32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。 33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。 35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。 36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。 37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 耳が聞こえず、口が利けない、いわゆる聾唖者、を癒す話し。高齢で難聴になる方は珍しくないが、発話に問題のある方は多くない。高齢、あるいは、病気のために両者が重なる場合もあるが、生来、そうしたハンディをもっておられる方は、どれほど、辛い思いをしておられるだろうか。聴覚に問題があれば、周囲の音が耳に入らず、不安に襲われる。それに発話の問題が重なれば、自分の思いを言葉で表現できず、人とコミュニケーションがとれないことから、不満といらだちが募る。
 イエスは、そうした苦しみを抱えた人を、「エッファタ」(開け)の一言で自由にしておやりになった。その喜びはどれほどだっただろうか。
 しかし、文字通りの聴覚障害、発話障害がなくても、相手の言おうとしていることが理解できない、真意がわからなければもどかしさを感じる。また、相手を生かし、慰め、希望を与える言葉を語れず、相手を傷つけ、落ち込ませ、失望させる言葉ばかり語れば悔いが残る。
 さらに言えば、神の言葉を正しく聞くことができず、神が望まれるような言葉を返すことができない、そのような状態、結局、神とのコミュニケーションが失われた状態は、もっと苦しいのではないか。相手が人にせよ、神にせよ、コミュニケーションが取れない状態、要するに断絶した孤立状態、それこそが、人間にとって最も苦しい状況ではないか。そして、そこからの究極的な解放は神の恵みによることを思い、必要な恵みをへりくだって祈り求めよう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 本日福音、「イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し」
    とある。
    告解室を思い出す。
    コロナが流行してから上京できず四ツ谷の告解室に行ってない。
    人とコミュニケーションとる以前に自分がどれほど大変な情況にあるかを神の御前で知らなくては。
    「イエスの公生活では信仰をもってイエスに近づいた人々だけが、その病から癒やされました。」(ミゲル・メンディサバル、S.J.「質問に対する回答」)

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