集会祈願
🌸 第一朗読 (ヘブライ12.18-19、21-24)
18-19〔皆さん、〕あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。 21その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。 22しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、 23天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、 24新しい契約の仲介者イエス、そして、ア
🌸 答唱詩編 詩編48 典50 ①②
アレルヤ唱 典268 ③
🌸 福音朗読 (マルコ6.7-13)
マルコによる福音
7〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 8旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 9ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 10また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。 11しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 12十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 13そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
マルコは3章で、12人の選びについて記したが、今日の個所では、実際に彼らが宣教に派遣されたことが読まれた。
イエスは人々に教え、様々な病気を癒された。しかし、弟子たちは、はたして、イエスと同じように教え、同じように癒しの業を行ったのだろうか。
弟子たちは、イエスの教えを聞き、イエスのなさった癒しの業を見た。彼らが語ったのは、それだけだろう。福音の中心は、何よりも、イエスの十字架の死と復活そのものだ。それに先立って、弟子たちが語ることができたのは、イエスの教えと業の中に、すでに、神の国の到来を感じさせるものがあり、それこそが彼らの語ることだった。それに対して人々がどのような反応を示すか、それを喜んで受け入れるか、それを拒むか、それは、すべて神に委ねる。イエスが、貧しい人、病める人、虐げられた人に近づき、神の愛がそのような人々に及ぶことを、弟子たちは感じ取っていた。それこそが、神の国の到来のしるし、神の愛の兆しであることを、弟子たちは悟り、人々に告げたのであろう。
しかし、弟子たちが真の意味での使徒、福音宣教者になるのは、師であるイエスが裏切られ、拒まれ、裁かれ、十字架にかけられ、彼らの期待がすべて水泡に帰した後である。復活後、イエスが送られた聖霊によって、新しい人として生まれ変わったとき、彼らは、イエスが、かつて貧しい旅人のようなものとして、自分たちを人々の中に派遣されたことの意味を悟ったのではないか。(S.T.)