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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第三十四金曜日(11月27)

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神の国が近づいていると悟りなさい

ルカ21:31
集会祈願

???? 第一朗読 (黙示録20.1-4、11~21.2)

1わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。 2この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、 3底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。4わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。 

???? 答唱詩編 詩編84 典102 ①②

アレルヤ唱 典274 ⑥

???? 福音朗読 (ルカ21.29-33)

ルカによる福音

 29〔そのとき、イエスは弟子たちに〕たとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 30葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 31それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 32はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 33天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
11わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。 12わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。 13海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。 14死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 15その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
1わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。 2更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 最近の福音書の中で、滅びるという言葉がよく語られてきました。この世の終わり、その前、恐ろしいことが起こるという表現が何回も繰り返して述べられてきました。なぜこのような個所が読まれましたかと言いますと、教会によって、今週はこの年の最後の週だからです。そして、人生の終わり、すべてのものが終わる日が来るということを思い起こす必要があるからです。そのような日が来ても、大変恐ろしいことが起こっても、大きな苦難の中にあっても、神に信頼するならば、主イエスの中で生きるならば、救われ、恐れることはないという希望が与えられるのです。

 しかし、人は目に見えるものの立派さに心を奪われてしまうことが多いのです。現代の消費社会は、そのように人の心を奪う魅力的なものに満ちあふれていると言っても過言ではありません。テレビやインターネットを通して、美しいもの・派手なもの・欲しいものの情報がわたしたちのもとに飛び込んできます。そして、本当に大切なものを見失ってしまう危険があるのです。聖書は、目に見えるすべてのものは「過ぎ去るもの」「滅びゆくもの」であることに気づかせ、何が本当に永遠のものであり、滅びないものであるかに気づかせるのです。

 (私たちたちは今クリスマス会、クリスマスのお祝いを準備しています。クリスマスは主イエスのお誕生の記念日です。神は人を愛して人となるようになったというお祝いです。このような神は変わることがない愛を持っています。神の愛の中で生きようとするならば、その人生は決して滅びることがないです。恐れることはないです。)

 今日語られた聖書の個所で、主イエスは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びることがない」と言われました。これは、主イエスの言葉、そして神の言葉がこの世界の終わりを超えて真実であり続けるということです。わたしたちは移りゆくこの世にあって、変わることのない真実な神の言葉によって支えられ生きていくのです。

 わたしたちが生きていくには、目に見える形あるものと、変わることのない真実なものを必要としています。イエスは荒れ野の誘惑において「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きる」(マタイ 4:4)と言われました。これは旧約の申命記 8:3の引用です。わたしたちにはもちろんパンも必要です。けれど、パンだけではなく、変わることのない真実な神の言葉、本当に信頼することのできる神の言葉が必要なのです。

 わたしたちが生きていく中でいろいろなものが揺らぎ、過ぎ去っていきます。しかし、わたしたちの救い主イエス キリストは、決して滅びることのない真実な言葉を、そして決して過ぎ去ることのない本当の救いを与え続けていてくださいます。

 このイエス キリストにあってこそ、わたしたちはどんな時も、どこにあっても、生きている時も死に臨む時にも、救いの中に生き続けることができるのです。このような信仰と希望をもって、ミサを捧げ続けましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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