聖エリザベト(ハンガリー)修道女
集会祈願
すべての人の父である神よ、ハンガリーの聖イザベトは、貧しい人々の中でキリストに仕えました。聖女の取り次ぎに支えられてわたしたちも、苦しんでいる人、困っている人をいたわり助ける者となることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン
???? 第一朗読 (黙示録3.1-6,14-22)
1〔わたしヨハネは、主がこう語りかけるのを聞いていた。〕「サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。 2目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。 3だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない。 4しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。 5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。 6耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
14ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。 15「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 16熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。 17あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。 18そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。 19わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。 20見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。 21勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。 22耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」
???? 答唱詩編 詩編15 典101 ①②
答 しあわせな人、神を恐れ、主の道を歩む者。
神よ、あなたの幕屋に泊まる人、
あなたのとうとい山を住まいとする人はだれ。
それは、とがなく歩み、正義を行い、
心からまことを語る人。 【答】
ことばで人をきずつけず
悪を行わず、隣人をはずかしめない。
神を捨てた者を戒め、神を恐れる者をとうとぶ。
このようにふるまう人は、
とこしえにゆらぐことがない。 【答】
アレルヤ唱 典268 ㉕
アレルヤ、アレルヤ。神は先にわたしたちを愛し、わたしたちの罪のゆるしのために、ひとり子を遣わされた。アレルヤ、アレルヤ。
???? 福音朗読 (ルカ19.1-10)
ルカによる福音
1〔そのとき、〕イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 2そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 3イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 4それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 5イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 7これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 8しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 9イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 10人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
奉納祈願
すべての人の父である神よ、あなたの民の供えものを受け入れてください。御ひとり子の限りない愛の奉献を記念するわたしたちが、聖人の模範に励まされ、すすんで隣人に尽くすことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
恵み豊かな神よ、救いの秘跡に養われて祈ります。聖イザベトにならって愛のわざに行い、ともに永遠の喜びに入ることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 分かち合い
皆さんがご存知の通りですが、ルカ福音書は主イエスがエルサレムへ向かう旅、あるいは十字架に向かう長い旅を語っています。主イエスのエルサレムへの旅も終わりに近づきました。きょうの福音は、エルサレムまであと20キロほどのエリコという町で起きた出来事を語っています。徴税人の頭であるザアカイが主イエスに出会って、深く回心したという話です。
さて、ザアカイはなぜ主イエスを見ようとしたのでしょうか。単なる好奇心であったかもしれません。しかし、木に登ってまで主イエスを見たいというザアカイの姿には、何かしらもっと切実な思いが感じられるでしょう。ザアカイは背が低くて、徴税人の頭だから、周囲の人々の目を気にしていたのかもしれません。あるいは、それ以上に、自分のような罪びとが主イエスに近づいて行く資格はない、と感じていたのだと考えられています。
それでもザアカイは主イエスを一目見たいと思って木に登るのです。彼は主イエスという方が「罪びとを招いて、一緒に食事までしている」といううわさを聞いていたのかもしれません。そして、この人だったら、自分のどうにもならない思いを受け止め、理解してくれて、自分をこの行き詰まりから解放してくれるのではないか、という期待を持ったのかもしれません。
ところで、主イエスはいつくしみに導かれ、ほかのだれでもなくザアカイを捜します。そして、ザアカイの家に入っていいます。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」10節)。主イエスの視線は、罪と先入観を超えたところに注がれています。これは重要なことです。わたしたちはこのことを学ばなければなりません。主イエスの視線は、罪と先入観を超えたところに注がれているのです。主イエスは、神の目を通して人を見ておられます。神は過去の過ちに目を向けるのではなく、よい未来を見据えます。主イエスはあきらめて閉ざすのではなく、つねに開き、いのちの新たな場を必ず切り開いてくださいます。主イエスは外見には目を留めず、心をごらんになります。そしてこの箇所では、この男の傷ついた心を見ておられます。主イエスは彼を癒すために彼のところに行くようになります。
わたしたちはしばしば罪人をしかり、その過ちや態度を叱責することによって、その人を正し、回心させようとします。主イエスのザアカイへの態度は、別の方法を示しています。それは、過ちを犯している人に、その人がもつ価値を示すという方法です。神はどんなことがあっても、どんな過ちがあっても、その価値を認めてくださいます。
この方法は前向きな驚きをもたらします。その驚きは人の心を和らげ、その人の中にある善を引き出すよう促します。人に自信を与えます。この自信により、人は成長し、変わっていきます。これこそ、わたしたち皆に対する神のなさり方です。神はわたしたちの罪の前で踏みとどまらずに、愛によってそれを乗り越え、善へのあこがれを抱かせてくださいます。わたしたちは皆、過ちを犯した後に、善に対するこのあこがれを抱きます。これこそがわたしたちの父なる神のなさり方であり、イエスのなさり方です。よいところがどこにもない人などいません。神は、悪から人を引き離すために、そのことに目を向けておられるのです。
「わたしたちが日々の生活の中で出会う人の中にあるよいものを見ることができるよう、おとめマリアが助けてくださいますように。それによって、すべての人の心に刻まれている神の姿が見えるように、すべての人が励まされるでしょう。そうしてわたしたちは、神のいつくしみに驚き、喜びに満たされます。わたしたちの神は、驚かせる神なのです。