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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十七水曜日(10月7)

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わたしたちを誘惑に遭わせないでください

ルカ11:4

ロザリオの聖母

集会祈願

 恵み豊かな父よ、いつくしみをわたしたちの心に注いでください。みことばが人となられたことを信仰によって知ったわたしたちが、聖母の祈りに支えられ、御子の苦しみと死を通して、復活の栄光にあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (ガラテヤ2:1-2、7-14)

 1〔皆さん、〕その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。 2エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。 7それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。 8割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。 9また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。 10ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。11さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。 12なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。 13そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。 14しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」

???? 答唱詩編 詩編117 典132①②

答 主をたたえよう。
  主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。

すべての国よ、神をたたえ、
すべての民よ、神をほめよ。
神の愛はちから強く、
そのまことは世々に及ぶ。 【答】

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように
今もいつも
世々に。アーメン。 【答】

アレルヤ唱 典269 37

アレルヤ、アレルヤ。神の子とする霊のうちのあって、わたしたちは「アバ、父よ」と叫ぶ。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ11:1-4)

ルカによる福音

1イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 2そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。3わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。4わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

奉納祈願

聖なる父よ、この供えものとともにわたしたちを受け入れ、み心にかなうものとしてください。御子イエスの神秘を心をこめて記念し、約束された救いにあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 恵み豊かな父よ、とうとい秘跡を受けて、御子イエスの死と復活を告げ知らせるわたしたちが、主と苦しみをともにすることによって、その喜びと栄光にもあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 皆さんがご存知の通り、「主の祈り」は新約聖書の中に2つの形で伝えられています。この箇所と、もう1つはマタイ6章9-13節です。主イエスが教えた1つの祈りが繰り返し唱えられ、アラム語からギリシャ語へ翻訳されていく中で、2つの形になったと考えられます。

 今日の福音書を読んでみますと、わたしたちがこの祈りをどのような態度をもって祈ったらいいのか。また、この祈りがどのようにわたしたちを支え、導いていてくれるかということは大切ではないかと思っております。

 さて、この祈りの最大の特徴は、「父よ」という単純な呼びかけについて考えてみたいと思います。マタイにある「天におられるわたしたちの父よ」は礼拝の中で唱えられていくうちに付け加えられた言葉だと思われています。「父よ」。これは主イエスご自身が神に祈ったときの言葉でした。マルコ福音書のゲツセマネでの祈りでは「アッバ、父よ」とアラム語も伝えられています。「アッバ」は子どもが父親を呼ぶときの言葉です。信頼を込めて主イエスは神に向かってこのように呼びかけました。ルカ福音書の中では、十字架の主イエスの祈りが印象的です(23章34、46節)。

 そのとき、主イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」そして、主イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 私たちも、主イエスのように神を父と呼ぶことができます。

 しかし、パウロによって、このことができるのは聖霊のわざだと言われています。確かに、「あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(ガラテヤ4:6)。神を父と呼ぶのだから、私たちは兄弟姉妹となっていて、その関係を大事にしなければなりません。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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