集会祈願
???? 第一朗読 (ガラテヤ3:1-5)
1ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。 2あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。 3あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。 4あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。 5あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。
???? 答唱詩編 詩編50 典171②③
アレルヤ唱 典270 51
???? 福音朗読 (ルカ11:5-13)
ルカによる福音
〔そのとき、イエスは〕弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 6旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 7すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 8しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 9そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
奉納祈願
拝領祈願
???? 分かち合い
聖書の中にはたくさんの祈りが記され、イエス自身よく祈り、弟子たちに祈りを教えられました。今日の個所は、イエスが教えられた、いわゆる「主の祈り」(ルカ版)に続く部分です。
しかし、はたして現代、祈りと聞いて人々は何を考えるでしょうか。祈りは昔の人のこと、科学技術が発達した現代、なぜ人は祈るのか、祈りは弱い人のもの、祈りは現実逃避、あきらめでないか。信者であっても、どこか心の中で、無意識のうちにそんな思いにとらわれていないでしょうか。
たとえ祈っていても、祈り方が間違っていることもあります。自分の願いがかなうように、期待が成就するように、と自分の思いを中心に祈ることが祈りだと思い込んでいることもあります。キリスト者でも、そのような祈りから抜け出せないことがあります。「求めなさい、探しなさい、叩きなさい」と言われて、ますますそのような思いを深くするかもしれません。あるいはまた、「人事を尽くして天命を待つ」とあるように、万策尽きて、最後の手段としてするのが祈りだ、と思うこともあるでしょう。
イエスが教える祈りは、そうではなく、「願う前から、必要なものをご存じ」(マタイ6.8)な神に自分の思いをすべてゆだねることです。「与えられ、見つかり、開かれる」とは、まさに神自ら、自分が最も必要としているものを与えてくださることではないでしょうか。「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」ということは、祈ることによって、自分が変えられ、神の望みが何であるかを知り、それを受け入れるようになることではないでしょうか。(S.T.)