聖グレゴリオ一世教皇教会博士
集会祈願
いつくしみをもって民を治められる神よ、教皇聖グレゴリオ一世の祈りを顧み、教会の指導者に英知のたまものをお与え下さい。よい牧者の指導のもとに、神の民が力強く成長することができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 第一朗読 (一コリント3:18-23)
18〔みなさん、〕だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。 19この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は、知恵のある者たちを
その悪賢さによって捕らえられる」
と書いてあり、 20また、
「主は知っておられる、
知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
とも書いてあります。 21ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 22パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、 23あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
???? 答唱詩編 詩編24 典158①②
答 門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。
栄光の王が入る。
地とそこにあるもの、
世界とそこに住むものは神のもの。
神は海に地の基をすえ。
水の上に固められた。 【答】
だれが神の山に登れよう。
だれが聖所に立てよう。
それは手に汚れなく、心の清いひと、
むなしいことに心を向けず、
いつわりを口にしないひと。 【答】
アレルヤ唱 典268 ⑪
アレルヤ、アレルヤ。わたしのあとに従いなさい。人を捕らえる漁師にしよう。アレルヤ、アレルヤ。
???? 福音朗読 (ルカ5:1-11)
ルカによる福音
1〔その時、〕イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
奉納祈願
全能の神よ、あなたは御子の十字架によって、世界を罪から解放してくださいました。聖グレゴリオを祝ってささげるこのいけにえが、わたしたちに救いをもたらすものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
聖なる父よ、キリストをいのちの糧としていただいたわたしたちを、キリストによって教え導いてください。聖グレゴリオの模範にならって、真理を学ぶわたしたちが、愛をもってそれを実践することができますようにわたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 分かち合い
預言者イザヤの召命や、使徒パウロの召命、また弟子たちの召命は皆、次のような共通点があります。それは自分たちが神の前で罪びとだ、汚れたものだと認めるという点です。イザヤはこう言いました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た」(イザヤ書6:5)。パウロもほぼ同じ自己認識を認めました。「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(1コリント15:9)。最初の弟子たちの場合も、特にペトロの告白によって、われわれは罪びとだということをはっきりと考えています。
それにもかかわらず、神は私たちを絶えず呼んでくださいます。使徒パウロの経験のように、神の呼びかけに答えるならば、どんな状態になっても、神の恵みはいつも足ります。だから恐れることはないのです。自分は罪びとだと思うならば、神の恵み、神の赦し、また神の呼びかけを深く感じるようになるのです。
今日の福音書が語りましたように、私たちの召命は主イエスに従い、人間をとるという召命です。これはどんな意味でしょうか。それは人を改宗させるためではなく、罪の赦しによって、すべての人に完全な尊厳と自由を取り戻すために、「漁る」ことです。受け入れ、いつくしむという姿勢を人々に対してもって、神の新たにしてくださる無償の愛を広めることです。これはキリスト教の核心です。そうすれば、すべての人が、神の優しさに出会い、命を十全に生きりことができるでしょう。
とにかく、私たちの召命は主イエスの弟子となるのです。弟子であることは、主の歩まれたところを同じように歩むということです。私たちは罪びとであるこそ、神は私たちを赦してくださり、私たちを愛してくださり、私たちを主イエスの弟子にしてくださいます。この恵みを感謝しましょう。どうか、聖母マリアの助けを願い、すべての人に新たな命を与える神の恵みを伝えることができますように。