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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二水曜日(1/18)

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手を伸ばしなさい

マルコ3:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ7.1-3、15-17)

1このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 2アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。 3彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
15このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。 16この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。 17なぜなら、
「あなたこそ永遠に、
メルキゼデクと同じような祭司である」
と証しされているからです。

🌸 答唱詩編 詩編110 典159 ①②

アレルヤ唱 典272 36

🌸 福音朗読 (マルコ3.1-6)

マルコによる福音
 1〔その時、〕イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 5そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 6ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 安息日関係の話が続く。それだけ、安息日の掟はイエスの時代、大きな問題だったのだろうか。
 昨日の場面から、一歩進んで、イエスが癒しを行うかどうか見ようとする、人々の下心を読んだイエスの方から、安息日にかかわらず手萎えの人を癒そうとして人々の真ん中に立たせ、さらに問いを投げかける。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と。
マタイやルカでは、似たような状況で、イエスは一つのたとえを持ちだす。もし、自分の息子、あるいは、羊が井戸に落ちた場合、安息日だからといって、放っておくか、と。
 安息日律法にも、例外規定(逃げ道)があって、命にかかわることなら、安息日であっても、治療を施すことは許されていた。しかし、イエスは、さらに踏み込んで、命にかかわることでなくても、他人への愛の行い、人格を守る行いは許される、つまり、隣人愛の掟は、安息日の掟に優先するという、大原則を示されたのである。
 しかし、ファリサイ派の人々は、そうしたイエスの態度にがまんが出来ず、イエスを亡き者にしようと相談し始めた、とある。規則やきまりを優先して、肝心な人間を後回しにしたり、無視したりすることは、今の時代、どの世界にも起きている。その点で、安息日の問題は、まさに、現代の問題だと言えるかもしれない。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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