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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第一火曜日(1/10)

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イエスは会堂に入って教え始められた

マルコ1:21
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘプライ2.5-12)

5神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。 6ある個所で、次のようにはっきり証しされています。「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。7あなたは彼を天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、栄光と栄誉の冠を授け、8すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。 9ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。 11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、12「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに知らせ、集会の中であなたを賛美します」と言〔われました〕

🌸 答唱詩編 詩編8 典48 ①②

アレルヤ唱 典270 57

🌸 福音朗読 (マルコ1.21-28)

マルコによる福音
21イエスは、安息日に〔カファルナウムの〕会堂に入って教え始められた。 22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マルコは、イエスの宣教活動を、会堂での教えと汚れた霊にとりつかれた人の癒しをもって始めている。そこで繰り返されるのは、イエスの教えが、律法学者と異なり、権威ある教えだということ、イエスの言葉には、逆らうことができない力が伴うということである。
 マルコが様々な病人の癒しの前に、汚れた霊につかれた人を解放する出来事を記すには、やはり深い意味があるのだろう。イエスは、単に病気をいやすだけでなく、人間を様々な形で縛り、自由を奪っているものから解放すること、それがイエスの救いの業だからではないか。
 人間は本来、自由に憧れながら、何ものかに縛られて生きている。それは物、金、飲食、仕事、家族、地位、名誉等、それ自体、けっして悪いとは言えない、何ものかにとらわれて生きている。その中でも、一番自分から自由を奪うのは罪である。人は、自分の力で容易にそこから自由になることはできない。それでも、人は自由になろうとしてむなしく労苦し、自分を真に自由にするものに対して固く心を閉ざす傾向をもつ。さらには、自分を様々な縛りから解放する神に譲り渡すことに対して、本能的な恐れさえ抱いている。
 神の子イエスは、人間に真の自由を得させるために人となり、人として生きながら、自らの言葉で、さらには、その業を通して、そのことを明らかにしようとされた。イエスに心を開き、自分のこだわりを捨て、すべてを委ねること、それこそが、自由に至る最も確実な道であることを悟る恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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