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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第三十二月曜日(11/11)

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悔い改めれば、赦してやりなさい
集会祈願

🌸 第一朗読 (テトス1:1-9)

 1神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。 2これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。 3神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。―― 4信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。
 5あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。 6長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。 7監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、 8かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、 9教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。

🌸 答唱詩編 詩編24 典158 ②③

答:門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。

だれが神の山に登れよう。
だれが聖所に立てよう。
それは手に汚れなく、心の清いひと、
空しいことに心を向けず、偽りを口にしない人。【答】

その人は神に祝福され、
救いの恵みを受ける。
彼はヤコブの一族、
神を求め、その顔を慕う。【答】

アレルヤ唱 典271 ⑳

🌸 福音朗読 (ルカ17:1-6)

ルカによる福音 

 1〔そのとき、〕イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。 2そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。 3あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。 4一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
 5使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、 6主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 少々、まとめるのが難しいと感じる言葉が続く。つまずきを与えないように、と。意識的につまずかせようとする人は、多くない。無意識のうちにだれかをつまずかせているとしたら、それこそ、ゆるしを乞わなければならない。
 イエスは弟子たちに言われる、「罪を犯した兄弟が悔い改めれば、赦してやりなさい」。「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と。人間的には、考えられないこと。なぜ、そこまで赦すことが出来るのか。「ゆるし」は本来、神のなすことで、人間は、赦すことのできない存在である。ゆるしは、神の限りない愛から出るもので、人間はその愛にあずかる限りにおいて、相手を赦すことができる。「主の祈り」の中に、ゆるしが主要な位置を占めているのは、まさに、そのためであろう。自分がゆるしを必要としていることを知って、はじめて、人をゆるすことができるのだろう。  「信仰を増してください」と使徒が願う。はたして、信仰に多寡というものはあるのだろうか。あるのは、むしろ、信じるか、信じないかの問題ではないか。どんなに小さい、と思われても、真実の信頼・信仰―神の絶大な力、知恵・愛に対する信があるなら、それは、何事をも可能にする神の力が働く場を提供することであり、神に自らの自由を委ねることなのである。
 いざという時だけでなく、いつもそうした心を持つことが出来るよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 福音にある、
    「つまずきは避けられない、
    だが、それをもたらす者は不幸」
    とは、英訳だと、人々を罪に陥れる者、となっている。
    あるいは、神・キリストへの信仰を妨げる者、という意味か。
    いずれにせよ、正しい者は信仰によって生きるから、信仰を妨げる者ということだと思う。
    そして、ここが私の理解不足の点だが、信仰は神からの恵みだから、相当静かにしていないとまずい。神は人間の自由を完全に尊重なさる。神は静けさの友と誰かが言ってた通りだと思う。
    今まで、私は、こんな馬鹿でも神は導いてくださり、こんな罪人でも神はゆるしてくださる、という悪い模範だったと思う。

    何とかして、もっと単純直截によい模範・完全な者になる恵みを祈り求めたい。

    祈りと沈黙の時間をもっと取りたい。

  2. まず、第一朗読に、「神に選ばれた人々の信仰を助け」とある。
    信仰ある人にまず向うべきである。この点、私は、むやみにあらゆる人々に向かってしまう傾きがある。恵みを頂いたら速攻であまりにひどいこの世を何とかしたい、と思ってしまうが、
    今、外を見れば、ススキが揺れ、紅葉が美しい。
    空の鳥をご覧なさい、と言ったイエス様や、「焦らないで下さい。大事な時です。マタイ6章の神の摂理の最後の文章を暗記してください」と告解室で言われた師を思い出す。
    小さな群れよ、恐れるな
    とも主は言われた。
    信仰を胸に、ゆっくり歩んでゆきたい。

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