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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十一月曜日(8/26)

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偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり
集会祈願

🌸 第一朗読 (二テサロニケ1・1-5、11b-12)

 1パウロ、シルワノ、テモテから、わたしたちの父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。 2わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 3兄弟たち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです。 4それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。 5これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。
 どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。 12それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです。

🌸 答唱詩編 詩編96 典148 ①②

アレルヤ唱 典272 ㉖

🌸 福音朗読 (マタイ23.13-22)

マタイによる福音 

 13〔そのとき、イエスは言われた。〕律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。 14〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕 15偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
 16盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。 17愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 18また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。 19盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。 20祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。 21神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。 22また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 律法学者やファリサイ派の人々への厳しい言葉が続く。マタイは23章全体を、それに当てていると思えるほど、質量ともに、著しいものがある。それは、マタイの教会には、ユダヤ人としてキリス者になったものが多く、ユダヤ教の影響が強く残っていたためと思われる。特に、紀元70年にエルサレム神殿が破壊され、祭儀もなくなってから、ユダヤ人はもっぱら律法の遵守にこだわり、会堂を共用しながら、それに同調しないキリスト者を呪う祈りを加えたり、会堂からキリスト者を追放するという、厳しい現実があったことも背景にあったらしい。しかし、それは、単にファリサイ派への批判ではなく、そうしたファリサイ派的な態度を示すキリスト者が教会内にあったことをも物語っているのではないだろうか。
 「偽善者」という言葉は、外面だけをつくろう、という意味でとらえがちだが、その奥には、信仰も愛もない、単なる法律的な解釈で物事の是非を決めようとする姿勢も指しているのではないか。それは、どんな時代、どんな文化、どんな共同体にも存在し得る誘惑であり、人間が十分警戒しなければならない課題である。今日の第一朗読『テサロニケの教会』の手紙の中でパウロは書いていることと、何と対照的だろうか。「あなたがたのことを思い起こして、いつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。