人の子には枕する所もない
福者ペトロ岐部司祭と187殉教者(記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (アモス2:6-10、13-16)
アモスの預言
6主はこう言われる。
イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに
わたしは決して赦さない。
彼らが正しい者を金で
貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。
7彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ
悩む者の道を曲げている。
父も子も同じ女のもとに通い
わたしの聖なる名を汚している。
8祭壇のあるところではどこでも
その傍らに質にとった衣を広げ
科料として取り立てたぶどう酒を
神殿の中で飲んでいる。
9その行く手から
アモリ人を滅ぼしたのはわたしだ。
彼らはレバノン杉の木のように高く
樫の木のように強かったが
わたしは、上は梢の実から
下はその根に至るまで滅ぼした。
10お前たちをエジプトの地から上らせ
四十年の間、導いて荒れ野を行かせ
アモリ人の地を得させたのはわたしだ。
13見よ、わたしは麦束を満載した車が
わだちで地を裂くように
お前たちの足もとの地を裂く。
14そのときは、素早い者も逃げ遅れ
強い者もその力を振るいえず
勇者も自分を救いえない。
15弓を引く者も立っていられず
足の速い者も逃げおおせず
馬に乗る者も自分を救いえない。
16勇者の中の雄々しい者も
その日には裸で逃げる、と主は言われる。
🌸 答唱詩編 詩編50 典171①③
アレルヤ唱 典261③
🌸 福音朗読 (マタイ8:18-22)
マタイによる福音
〔そのとき、18イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。 19そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。 20イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 21ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 22イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
ルカの福音書では、イエスがエルサレムに向って旅立たられる、という緊迫感のもとで語られているが、マタイの方では、もう少し一般的な形で、イエスに従おうとする者の覚悟が問われている。共通しているのは、イエスに従うためには、人間的に当然と思っていること、たとえば、自らがゆっくり休める居場所を得ること、あるいは、家族への別れのあいさつをすること、そうしたことさえも、後回しにする、あるいは、放棄するということ。そんな厳しい要求があるとすれば、だれがイエスについてゆくだろうか、と考えてもおかしくはない。
しかし、現実に、そうした要求を文字通り受け止め、イエスに従った人がいて、その人々を中心にして教会が出発したのである。彼らが、超人的な努力によってそれを成し遂げたわけではない。むしろ、彼らの内に神の霊、復活のイエスの霊が働いて、それを可能にしたのである。
かつて、ナチス・ドイツの政策に批判的な運動に加担したことで逮捕され、収容所で亡くなったプロテスタント神学者のディートリッヒ・ボンヘッファーという方がおられる。その著作の中に『キリストに従う』(Nachfolge(独),The Cost of Discipleship(英))と日本語に訳されたものがある。その中で、彼は言う、安い値で、イエスの弟子になろうとすれば、秘跡(洗礼、聖体、ゆるし等)に与ることで十分である。しかし、真にイエスの弟子になろうとすれば、高い値を払う、つまり、山上の説教の中でイエスが掲げ、イエス自身が生きられた、その生き方に倣って生きるほかはない、と。果たして、わたしたちは、どんな生き方をしているだろうか。(S.T.)
ボンヘッファーはどこかで、神なしで、と言っていたように思う。(勿論ボンヘッファーもぼくらのような悪ガキ集めて教会学校してくれたが)
他方、ロヨラのイグナチオは、まるで自分では何もできないかのように神を信じ、まるで神がいないかのように努力する行動する、と言っていたと思う。前半は自分、後半は春に帰天されたリーゼンフーバー師、などと勝手に決め込んでいたが、今日の分かち合いを読んで、貧しい人々は幸いだが、安っぽいことしちゃあかん!と反省している。寡婦の献金のようにイエスの目から高貴でなくては!
神が人となって世に住まわれたのは人間を世の責任者としたからだろう。重責だが、ただイエスに従えばよいのだろう。
個人的なことだが金大中のように迫害の中にあっても勉強する落ち着きを神に求めたい。