悲しみの聖母
集会祈願
聖なる父よ、聖母マリアは十字架のもとに立ち、御子イエスと苦しみをともにしました。教会が聖母とともに御子の苦しみに結ばれて、その復活にもあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 第一朗読 (ヘブライ5:7-9)
7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。 8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。 9そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となられたのです。
???? 答唱詩編 詩編31 典145①③
答 父よ、あなたこそわたしの神。
わたしのすべてをあなたに。
神よ、あなたのもとにわたしはのがれる。
とこしえに恥を負わせず、
正義によって救ってください。
あなたの手にわたしの霊をゆだねる。
神よ、まことの神よ、
わたしをあがなってください。【答】
神よ、わたしはあなたにより頼む。
あなたこそわたしの神。
あなたの手にわたしの生涯をゆだねる。
わたしの敵から救いだしてください。【答】
アレルヤ唱 典273
アレルヤ、アレルヤ。しあわせなかたマリア、あなたは主の十字架のもとに苦しみ、殉教の勝利を得られた。アレルヤ、アレルヤ。
???? 福音朗読 (ヨハネ19:25-27)
ヨハネによる福音
25〔その時、〕イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
(または ルカ2:33-35)
ルカによる福音
〔その時、イエスの〕33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
奉納祈願
いつくしみ深い神よ、あなたは、十字架のもとに立つ聖母マリアをわたしたちの母としてくださいました。聖母の祝日に、あなたをたたえてささげる供えものと祈りを受け入れてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
信じる者の力である神よ、救いの秘跡を受けて祈ります。御子とともに苦しむ聖母にならい、キリストの苦しみの欠けたところを、そのからだであるわたしたちが進んで満たすことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 分かち合い
昨日、私たちはキリストの十字架称賛をお祝いしましたが、今日、それに続いて悲しみの聖母を記念するようになります。キリストの十字架を礼拝するのは、キリスト者の救いと勝利の希望であるキリストの十字架を思い起こすのです。このひどい処刑を通して、人間における頑固と傲慢、弱さと苦しみ、妬みや罪などがあらわされている同時に、神における優しさと謙遜、忍耐力と愛、赦しと救いなどを見出すことができるでしょう。キリストの十字架を仰ぎ見る時に、私たちの日々生活の中で、自分の十字架を担いながら、あらゆる苦しみを乗り越える力と希望が与えられると思います。
しかし、自分の十字架を中心とするだけではなく、周りの兄弟姉妹の苦しみへの関心を持ちながら、お互いに助け合ったり、赦しあったりする必要もあると思います。これは今日悲しみの聖母を記念している意味ではないでしょうか。確かに、聖母マリアは御子主イエスを守るために、いろいろな苦しみを受け、また主イエスの苦しみをご覧になったとき、ご自分も心を痛み、苦しんでいるようになります。聖母マリアの生涯には、限りない喜びとともに深い苦しみもたくさんあります。教会の伝統によって、聖母の悲しみは七つまとめられているそうです。この七つの悲しみを皆さんに紹介させていただきます。
まず一つ目は、キリストが反逆されるというメオンの預言を聞いた時の苦しみです。それに、二つ目は、キリストが殺される危険を避けるためにエジプトに非難し、難民とならなければならなかったということへの苦しみです。そして三つ目は、十二歳のキリストが三日間も行方不明になった時の苦しみです。それから、四つ目は、十字架を担っている痛ましい姿のキリストに出会った時の苦しみです。続いて、五つ目は、十字架の前で三時間御子の苦しみと悶えを見つめた後、その死を目にした苦しみだと言われています。また、六つめは、十字架から降ろされたキリストの御体を抱いた時の苦しみ、最後に、墓にキリストを葬った寂しさからの苦しみです。
この七つの主な苦しみに従って、七本の剣で心臓を刺された聖母マリアの姿を描いた絵があります。(Wikipediaにより)
この祝日に当たって、キリストが言われたように、十字架を通して栄光に行くべきことを悟り(ルカ24:26)、また、旧約聖書に書かれているすべての母親の苦しみについて、さらに私たちの霊的な母である聖母マリアの苦しみについて思い起こしましょう。「いつになっても母の苦しみを忘れるな」(シラ7:27)。
そして私たち自身の苦しみも、愛と信仰とによって人びとの救いのためにささげ、聖母マリアのように、キリストの苦しみに与ることができるよう祈りましょう。