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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

四旬節第一主日(2月21)

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時は満ち、神の国は近づいた

マルコ1:15
集会祈願

いつくしみ深い神よ、あなたは全ての人を神の国の喜びへと招いておられます。四旬節の初めにあたり、きょう洗礼志願者を迎える教会の一人ひとりが、悪を退け、福音を信じて生きる者となりますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (創世記9.8-15)

8神はノアと彼の息子たちに言われた。
9「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。 10あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。 11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
12更に神は言われた。
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。

🌸 答唱詩編 詩編25 典137 ①②③

 すべての人の救いを願い、
  わたしはあなたを待ち望む。

神よ、あなたの道を示し、
その小道を教えてください。
あなたの心理のうちに、
わたしを導き、さとしてください。 【答】

神はあわれみ深く正義に満ち、
罪びとに道を示される。
神は貧しい人を正義に導き、
へりくだる人にその道を教えられる。 【答】

契約とさとしを守る人に、
神への小道は慈しみとまことにあふれる。
神を恐れる人に神は心を開き、
契約を示し、さとされる。   【答】

🌸 第二朗読 (一ペトロ3.18-22)

 18〔愛する皆さん、キリストは、〕罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 19そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。 20この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。 21この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。 22キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。

詠唱 典260 第一主日

人はパンによるだけではなく、神のことばによって生きている。

🌸 福音朗読 (マルコ1.12-15)

マルコによる福音
 12〔そのとき、〕“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。 13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
 14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

奉納祈願

恵み豊かな神よ、四旬節の初めに主の食卓を囲むわたしたちを顧みてください。神のことばによって生かされるわたしたちが、主の死と復活の神秘を深く味わうことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

信じる者の希望である神よ、キリストのからだに結ばれたわたしたちを聖霊で満たし、悪への誘惑から守ってください。日々、感謝と喜びのうちに回心の道を歩むことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先週の水曜日、灰の水曜日から復活祭を迎える準備の季節、四旬節が始まりました。昨年の今頃は、ちょうど新型コロナ感染症が広がり始め、東京等、大都会の教会ではミサができない時期が始まるときでしたが、1年たった今も、状況は大きく変わっていません。ワクチンの接種が日本でも始まりましたが、一般に接種の機会が回ってくるのは、まだかなり先のことのようです。忍耐が試されます。

 そんな四旬節第一主日のミサのテーマ、それは、荒野の誘惑と福音宣教、洪水と契約と言ってよいかもしれません。第一朗読の創世記では、あの有名なノアの洪水の後のことが読まれました。「洪水」と言えば、あの十年前に経験した東日本大震災の折に生じたすさまじい津波のことが思い出されます。見慣れた町が、建物が、自宅が、すべて水に流され、消えてしまうという恐ろしい光景が、映像を通して遠くに住むわたしたちの目にも焼き付けられました。大昔、中東世界で起きた洪水も、それに似た恐怖を人々にもたらしたに違いありません。洪水伝説は多くの民族の歴史に深く刻まれていますが、聖書の中で「洪水」と言えば、少し違った意味合いをもっています。洪水を引き合いに出す詩編29は「主は大水の上にいます」(3)、また「主は洪水の上に御座をおく」(10)と謳います。世界の創造主である神は、あの恐ろしい洪水を支配し、治め、利用される方だというのが、聖書の理解です。

 洪水によって、あたかも天地創造の原点に立ち戻ったような状況の中に、わずかに滅びを逃れることができたノアの一族と、神はその後契約を結ばれます。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。」そして、「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なる者との間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」と。人間にとって、恐ろしく、すべてを滅びに導くかに見える洪水は、神との間に結ばれる新しい契約の契機となるのです。今、人類世界を覆いつくしているパンデミックの脅威も、神との新たな関係を開く契機になるでしょうか。

 第二朗読のペトロの手紙の中で、ノアの洪水は、教会に残された大きな恵み、洗礼のしるしとして、捉えられています。ペトロは言います、「この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです」(21)と。昔、洗礼は、浸水(バプテスマ)と言われ、文字通り、全身を水に沈める方法で授けられていました。それは、パウロが言うように、キリストと共に死ぬことによって、新しい命に復活することを意味していました。復活祭を迎える季節のはじめに、わたしたちが受けた洗礼が、イエスの死にあずかるものであることを思い起こしましょう。そした、洪水によって、多くのいのちが滅ばされたように、わたしたちの中にある古い人間が滅ぼされ、キリストの霊によって、新しく生きる者として立ち上がらせてくださるよう祈りましょう。

 マルコの福音は、イエスの公生活のはじまりを、簡潔に記します。イエスは、公生活を始めるにあたって、まず、人里離れた荒野、文字通り、生物がわずかしか生きることのできない砂漠のような世界、飢えと渇き、人間としての生存の限界というべき状況にわが身を置かれ、イエスはサタンの誘惑を受けられます。人々と出会うこともままならない、あたかも、コロナ禍のような状況の中で、イエスは、神との交わりとともに、悪の誘惑を体験されます。それは、公生活の中で、ご自身が受けられる様々な誘惑のさきがけであるだけではなく、人間が生きる限り、必ず経験しなければならない、人を神から引き離す、ありとあらゆる誘惑の先取りだったのでしょう。マルコは、それが具体的にどのようなものだったか記しませんが、マタイ・ルカは、サタンの巧妙な誘惑を、イエスが神の言葉をもって退けたことを記します。「人はパンによるだけでなく、神のことばによって生きている」と、先ほど読まれた詠唱はそれを伝えています。

 40日にわたる荒野の日々の後、イエスは人々の前に出て、福音を宣べ伝えられます。誘惑の多い現実の中に生きる人々に、それに打ち勝ち、それを超えて芽生え発展する神の国の到来を告げられます。心の方向を、自分や人間の世界だけでなく、むしろ、神に、そして、イエスによって示された神の限りない愛の世界に向けて生きるように、イエスは今日もわたしたちに語りかけておられます。混沌とした世界の中で、ささやくように語られる神の声を聞き分け、闇のような世界の中に、吹き消されることなく輝く光そのものである福音を信じ、その喜びと希望を、出会う人々と分かち合って生きる恵みが、四旬節の間、わたしたち一人一人に与えられるよう願いながらミサを続けましょう。(S.T.)

🌸 他の分かち合い

 先週の水曜日は灰の水曜日にあたり、今年の四旬節が始まりました。「四旬節」という言葉は「40日の期間」という意味を示しています。その原型は主イエスが活動を始める前に、荒れ野で40日間の断食の日々を過ごされたという出来事にあります。そこで毎年、四旬節第一主日に、この出来事の箇所が読まれます。共観福音書はマタイ、マルコとルカ、それぞれ荒れ野での主イエスの出来事、言い換えれば、悪魔(サタン)の誘惑を受けながら祈ったり、断食したり、悪魔と戦ったりして、荒れ野に40日間とどまった主イエスの出来事を語ります。マタイとルカの方は、主イエスがどんな誘惑を受けたかを明らかに語りましたが、マルコの方はその誘惑の内容を省略して、ただその出来事があったよということだけを述べました。

 私たちは毎日「主の祈り」を唱えているでしょう。この祈りの中に「わたしたちを誘惑に陥らせず」という文があります。やはり、この世界の中には誘惑や試練は必ずあります。誰でもその誘惑と試練を受けています。しかし、誘惑があってもそこに陥ることのないように守ってくださいと祈っています。神の霊に支えられて、誘惑と絶えず戦い、そこに陥らせず、試練にも負けず、忍耐をもって、神の慈しみへの信頼をもって悔い改めと福音を信じることを実行しなさいと勧められています。

 それから、今日読まれた福音書の後半は主イエスの活動開始のことを語ります。主イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉のためで、回心の季節としての四旬節の性格を明らかにします。

 ここでは、四旬節とは復活祭に向かって心の準備を行う40日間で、回心してキリストの福音を信じることという四旬節の二つ目の意味が表れています。この間、灰の水曜日に読まれた福音の個所が語ったように、私たちの回心の条件は断食、祈りと施しというキリスト教的な三つの行動となります。これはキリストの過越を思い出しながら、自分への関係、神への関係、そして他者への関係という三つの関係を改めて見直し、改めて和解して深めていくことです。回心とはただ単に過去の過ちを後悔し、自分の罪深さを思うだけではなくて、むしろ、神に心を向け直すことです。従って、他の関係にも心を向け直すことができます。なので、主の死と復活を記念する四旬節・復活節のはじめに、私たちの心と生き方がどこを向いているかが問われています。

 ところで、先ほど言ったことがありましたが、福音を信じること、この福音とはいったいどんなものであろうか。

 皆さん、キリスト教が初めから伝わってきたメッセージは何でしょうか。最初の使徒たちは何を証ししましたか、皆さんはよくご存知でしょう。それは、主イエス・キリストは十字架につけられて死んでも復活しました、主は今生きている、主は私たちとともにおられるというメッセージでありという証しであります。

 時代を経て、多くの人々は主イエス・キリストの霊の導きにしたがって、この賜物を守り、主イエス・キリストとともにいるという体験を死ぬまで、迫害されても殉教するまで、証ししてきました。

 神の霊をはじめ、聖母マリア、そしてすべての殉教者、すべての聖人の助けに支えられて、私たちも誘惑があっても、試練があっても、そこに陥らせず、主イエスの過越を証し続けることができますように祈りましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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