神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。
🌸 第一朗読 (ヘブライ13・1-8)
ヘブライ人への手紙
皆さん、1兄弟としていつも愛し合いなさい。2旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。3自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。4結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。5金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。6だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。
わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
7あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。8イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
🌸 答唱詩編 詩編27 典73①③
答:神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。
神はわたしの光、わたしの救い、
わたしはだれもおそれない。
神はわたしのいのちの砦、
わたしはだれをはばかろう。【答】
神よ、わたしの声を聞き、
わたしをあわれみ、答えてください。
わたしの心はささやく、「神の顔を尋ね求めよ。」
神よ、あなたの顔をわたしは慕い求める。【答】
アレルヤ唱 典
アレルヤ、アレルヤ。よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マルコ6・14-29)
マルコによる福音
そのとき、14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。17実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
🌸 分かち合い
殉教者たちの記念に挟まれた今日、福音では、洗礼者ヨハネの殉教の個所が読まれました。洗礼者ヨハネの殉教は、共観福音書のすべてが、かなりのスペースをあてて記しています。それだけ、ヨハネの殉教は、初代教会の中で、大事なこととして語り継がれてきたのでしょう。
日本語には、「有終の美」という言葉があります。だれもが、最後は美しく、素晴らしい、恥ずかしくない結果を残したい、という人間の願望を語る言葉です。その点からすると、ヨハネの最後は、まさに、その逆と言うべきかもしれません。捕らわれの身として、一人牢につながれ、領主ヘロデと、その連れ合いヘロディアの勝手な思いつきで、首をはねられます。
不条理とか、無意味とかいう言葉をあてるしかない、このヨハネの最後は、だれも真似しようとしないし、することもできない、屈辱的な最期と言ってよいでしょう。
しかし、ヨハネの死は、イエスの先駆者にふさわしい死かもしれません。イエスは、短い生涯の間、ひとえに神について人々に語り、人々の病を癒し、人々の期待を一身に担われました。しかし、その最後は、だれよりもみじめな罪人としての十字架の死でした。しかし、それがために、父なる神は、復活という最大の栄光をお与えになったのです。洗礼者ヨハネは、その死においても、イエスのさきがけとなりましたが、栄光においても、イエスと並ぶ栄誉を受けられたことを、教会は記念するのです。(S.T.)