年間第二十一金曜日(8/30)
目を覚ましていなさい。その時を知らないのだから。
集会祈願
🌸 第一朗読 (一コリント1:17-25)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
17〔皆さん、〕キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
18十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 19それは、こう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さを意味のないものにする。」
20知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 21世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。 22ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 23わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、 24ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ①②
アレルヤ唱 典
274 ⑤
🌸 福音朗読 (マタイ25:1-13)
マタイによる福音
1〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。 7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。 12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
今日の聖書箇所は、どちらかと言えば、始まりではなく、終わりに関連する話。いつか訪れる世の終わりに対して、しっかり備えておきなさい、ということ。有名な花婿の到着を待つ10人の乙女のたとえでイエスは説明する。結婚という、人生の中で最大とも言うべき荘厳なときに向けて、昔は、今以上に、様々な準備がなされた模様。花婿のお供をして宴席に向かう10人の乙女たちのうち、5人は夜道を照らすともし火の油を用意していなかった。花婿の到着が遅れ、ともし火の灯が消えかかったので、油の無心をしたが、拒まれて、宴席に入れなかったということ。
話のポイントは、用意ができていたかということ。しかし、用意とは何を意味するか。旅行に携えるべきアイテムのことか。それも、大事。一つでも忘れると大変なことになる。しかし、それ以上に大事なこと、イエスが言おうとしていることは、より根本的な姿勢、生きる姿勢。つまり、目先の必要だけでなく、より広い心、聞く心、祈る心。自分が生かされていることへの感謝。他者へのおもいやり。宴席に招かれていることへの大いなる希望のことではないか。
そんな根本的な姿勢を忘れずに、日々の課題に取り組んでゆこう。