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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

諸聖人の典礼(11月1)

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御子が現れるとき、御子に似た者となる

1ヨハネ3:2
集会祈願

聖なる父よ、あなたはきょう、すべての聖人のいさおしをたたえる喜びを与えてくださいます。聖人たちの取り次ぎを願うわたしたちが、あがないの恵みを豊かにうけることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (黙示録7.2-4、9-14)

 2人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、
小羊とのものである。」
11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、 12こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、
誉れ、力、威力が、
世々限りなくわたしたちの神にありますように、
アーメン。」
 13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」 14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

???? 答唱詩編 詩編 典

答 門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。
  栄光の王が入る。

地とそこにあるもの、
世界とそこにすむのは神のもの。
神は海に地の基をすえ、
水の上に固められた。 【答】

だれが神の山に登れよう。
だれが聖所に立てよう。
それは汚れなく、心の清いひと、
むなしいことに心を向けず、
いるわりを口にしないひと。 【答】

その人は神に祝福され、
救いの恵みを受ける。
彼はヤコプの一族、
神を求め、その顔を慕う。 【答】

???? 第二朗読 (一ヨハネ3.1-3)

1〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 3御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

アレルヤ唱 典

アレルヤ、アレルヤ。労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしはあなたがたを回復させよう。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (マタイ5.1-12a)

マタイによる福音

1〔そのとき、〕イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 
12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

奉納祈願

父である神よ、すべての聖人をたたえてささげる供えものを受け入れて下さい。あなたのもとに生きる聖人たちの祈りに支えられるわたしたちが、救いの神秘にあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

聖なる父よ、すべての聖人のうちに現されたあなたの栄光をたたえて祈ります。旅路の糧を受けたわたしたちが豊かな愛に強められ、あなたの家で永遠のうたげにあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 11月1日は諸聖人の祭日で、年間第三十一主日と重なるとこの祭日のほうが優先して祝われます。今日福音では、マタイ福音書の「山上の説教」の冒頭の箇所、すなわち8つの「幸い」のみ言葉が読まれます。聖人とは、まさにこの「幸いな人々」と言えるでしょう。使徒信条を唱える時、私たちは「聖徒の交わり」を宣言しています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」、例えば、信仰や秘跡の分かち合い、あるいは愛やカリスマの分かち合いなど、そして「聖なる人々との交わり」すなわち、天上の教会と地上の教会との交わりという2つの意味合いだと教えられています。

 二つ目の意味は、神の唯一の家族の中で、聖人たちと交わり、死者と交わりするということです。今日祝われている諸聖人は、地上の旅を続けている私たちのために、執り成しをしてくださっています。諸聖人との交わりによって、私たちをキリストにより近くから従っていくようにと、キリストとより強く結び合わされるのです。だから、今日は喜びの日です、幸いの日です。皆さん、おめでとうございます。それでは、諸聖人と共にこの感謝の祭儀を捧げてまいりましょう。

 今日の福音書は「山上の説教」の冒頭部分であり、「真福八端」の個所とも呼ばれています。この箇所を読んでみますと、特に3―10節は神に「幸い」とみられる人は誰であるかを説く言葉です。この個所全体は、「天の国はその人たちのものである」という表現に囲い込まれています。そして、この箇所は二つの部分に分けられることができます。前半分(3-6節)によって、幸いな人とは、圧迫されて苦しんでいてもへこたれることのない人です。また後半分(7-10節)によって、幸いな人とは、圧迫の中にあっても平和を作り出す人のことです。これは、天の国に入る幸いな人のことです。

 具体的に言えようとすれば、現在がどういう状況であっても、それを神から与えられた祝福として受け取るならば、その人は幸いだと言われるではないかと考えられています。「心の貧しい者」はこの世に究極の救いがないことを知るから、この世の栄誉や成功を求めません。「悲しむ者」は自分が泣いたことがあるから、泣く人と共に泣くことが出来ます。「柔和な者」は自らの力に頼らないから、他者に対する妬み、憎しみや敵意などを行いません。「義に餓え渇く者」は神の支配を待ち望み、その日は来ると信じる故に、現在の不正に負けないということです。とにかく、貧乏や苦難などであるから人間的な力に頼ることができず、神に頼ることです。

 聖人たちはこのような生き方をもっています。さらに、迫害のさなかにあっても積極的に他者と関わって生きています。神の救いが確かであると祝福される彼らは、憐み深く、心の清い、平和を実現する人々です。憐み深いとは、他者を赦す心を持つことです。心が清いとは、精神的一側面の清さを言うのではなく、全体的な清さ、二心のない人を意味します。他者を赦し、一つのことを信じて生きる人は平和を実現するのです。

 主イエスが教えてくださった「真福八端」を実現することができないのではないということは諸聖人によって、改めて明らかに確認されることができました。主イエスの教えに従い、主イエスの道を歩むのは難しいかもしれませんが、諸聖人の取次に支えられて、その幸いな生き方を送ることができるではないかと思います。だから、皆さん、喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがあるからです。この希望をもって、特に、現在がどういう状況であっても、それを神から与えられた祝福として受け取ることができますように、お祈りしましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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