集会祈願
🌸 第一朗読 (ミカ5:1-4a)
1エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
2まことに、主は彼らを捨ておかれる
産婦が子を産むときまで。
そのとき、彼の兄弟の残りの者は
イスラエルの子らのもとに帰って来る。
3彼は立って、群れを養う
主の力、神である主の御名の威厳をもって。
彼らは安らかに住まう。
今や、彼は大いなる者となり
その力が地の果てに及ぶからだ。
4彼こそ、まさしく平和である。
または ローマ8.28-30
28〔皆さん、霊が、〕神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
🌸 答唱詩編 詩編67 典55 ②③
アレルヤ唱 典276(聖マリア誕生)
🌸 福音朗読 (マタイ1:1-16、18-23、または1:18-23)
マタイによる福音
1アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 3ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 4アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、 5サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、 6エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、 7ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、 8アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、 9ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、 10ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、 11ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
12バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、 13ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、 14アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、 15エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 16ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
17こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。
18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
この祝日は古く5世紀に遡り、東西両教会で大事に守られてきた。この日は、イエスの母マリアの誕生を祝うだけでなく、神が人となるという歴史を決定づける出来事、神秘のために、ナザレの少女マリアを選び、比類ない恵みと使命を与えられたということを祝う日ではないか。
この神の子の誕生については、マタイとルカが記しているが、ルカは母となるマリアを、マタイはマリアの婚約者であるヨセフを中心に描いている。ルカは、まだ一緒になる前に身ごもって母となる天使の告げを、マリアが全幅の信頼をもって受け入れたことを、マタイは、一緒になる前のマリアが聖霊によって身ごもるという神秘を、ヨセフが謙遜と信仰心をもって受け入れたことを記す。それは、選ばれた二人の信仰の深さを表すと同時に、あるいは、それ以上に、その未曽有の出来事の実現を人間の自由な受諾に委ねた神の大きな信頼を意味するのではないか。
マタイは、このキリスト教信仰の原点とも言うべき受肉の物語を、旧約の預言の言葉をもって締めくくる。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」と。インマヌエルとい名はまさに、「神は我々と共におられる」、あるいは、「われわれと共におられる神」の意味である。人間の中に、人間と共に生きるもの、これが神の名であり、その本質であるということ、これは何と慰め深い言葉であろう。(S.T.)
「人間の自由な受諾に委ねた神の大きな信頼」
神は我々人間を信頼してくださっている!
自由という恵みの意義が漸くわかりはじめた気がする。
神から信頼されることほど勇気を与えてくれることはない。
何だか漸く落ち着いてきた。
神への信頼以前に神は我々人間を圧倒的に信頼してくれていた。我々に与えられた自由こそが神の信頼の証。神の信頼にどうこたえようか。