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教皇の意向:子を失った親 (11月)

聖トマス使徒

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「トマが信じたことは、見たことよりまさります。見て触れたのは、イエズスの傷跡でした。しかし信じたのはキリストの神性でした。その神性を死ぬべき人間は見ることができません」

教皇聖グレゴリオ一世

7月3日 聖トマ使徒 (祝日) (一世紀)

 マルコとルカの福音書の使徒のリストの中に、トマという名前があらわれます。しかしトマについての個人的なことは、ヨハネの福音書にしか書いてありません。

 彼はあだ名を「デドモ(双子)」といいました。ある時、イエズスの友人ラザロが病気になり、「もう一度ユダヤに行こう」とキリストが言われると、弟子たちはみな恐れて「先生、ユダヤ人は、つい先頃、あなたに石を投げて殺そうとしました。それでも、また行こうとなさるのですか」と尋ねなおしたのですが、キリストの決意が変わらないと知ると、トマは仲間の弟子たちに「私たちも行って、先生といっしょに死にましょう」(ヨハ11:16)と言っています。トマは強い誠実さを持っていたのでしょうが、その強さは必ずしもたたえるべき勇気だけではなく、逆に頑固になることもありました。それはキリストご復活の日曜日のことです。トマは、エマオの弟子と同様に失望して離れてしまったのか、他の使徒たちといっしょにはいませんでした。ご復活の日曜日の後、トマに出会った使徒たちは「主を見た」と言ったのですが、彼は「私はその手に釘跡を見、そこに指を入れ、また手を脇腹(槍の傷)に入れてみなければ、決して信じません」と答えたのでした。使徒たちが七日間、キリストの復活の事実を何度も納得させようとしましたが、彼は自分の考えを少しも変えようとはしませんでした。しかし、ご復活の八日目、すなわち次の日曜日に、まだみなが家の中に閉じこもっている時に弟子の中に立たれたキリストは、トマに向かって「私の手に指を入れ、私の脇腹に手を入れよ。信じない者にならず、信じる者になるように」と言われたのでした。そこで初めて彼は自分の愚かさに気づき、「ああ、我が主、我が神」という、あのすばらしい信仰宣言をしたのでした(ヨハ20:24-29参照)。

 教皇聖グレゴリオ一世が言われるように、「私たちにとってトマの不信仰は、他の使徒の信仰より役に立ちました。なぜなら、手を触れて信じたことによって、私たちの心はあらゆる疑いから解放されて、信仰に強められるからです」。また聖グレゴリオは、信仰とは目に見えないことについて確信することであるのに、実際にキリストを見、手で触れたトマが、信じたと言えるだろうかという疑問に、「トマが信じたことは、見たことよりまさります。見て触れたのは、イエズスの傷跡でした。しかし信じたのはキリストの神性でした。その神性を死ぬべき人間は見ることができません」と答えられています。

 ガリラヤ湖のほとりにキリストがおあらわれになった時、七人の弟子の中にトマもおりました。五旬祭後の活動について、もっとも顕著なものは、インドまで行って、そこにキリストの教会を築いたということでしょう。確かに十六世紀の初めにインドについたポルトガルの宣教師は、その南東海岸に「聖トマのキリスト信者」と呼ばれる人びとと、聖トマの墓の上に建てられている聖堂とを見つけて驚きました。しかし、ほんとうにトマ自身がそこに布教して造ったのか、それとも、四世紀頃、シリアからの信者たちによって造られた教会であるのか、専門家の間でまだ議論されています。しかし地元の伝統は、聖トマの布教の無視できない証拠といえます。現在聖トマのキリスト信者は一五〇万人ほどいます。

 キリストを見たトマのように、私たちがキリストを強く信じることができるように、また、その信仰によって、キリストが約束された幸せをいただくことができるよう祈りましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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