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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第五主日A年

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わたしは道であり、真理であり、命である

ヨハネ14:6
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録6:1-7)

使徒たちの宣教

 1そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 2そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 3それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 4わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 5一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
 7こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46①②③

答:神の注がれる目は、神を恐れる者に、
神の愛に希望をおく者の上に。

神の言葉は正しく、
そのわざには偽りがない。
神は正義と公平を愛し、
慈しみは地に満ちている。【答】

天は神の言葉によって造られ、
星座はその息吹によって据えられる。
神の計らいはとこしえに、
御心の思いは世々に及ぶ。 【答】

神はたて、神は救い、
私たちは神を待ち望む。
心は神のうちにあって喜び、
尊いその名により頼む。 【答】

🌸 第一朗読 (1ペトロ2:4-9)

使徒ペトロの手紙

〔愛する皆さん、〕主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。 5あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。 6聖書にこう書いてあるからです。
 「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、
 シオンに置く。
 これを信じる者は、
 決して失望することはない。」
7従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、
 「家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった」
のであり、 8また、
 「つまずきの石、
 妨げの岩」
なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
 9しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

アレルヤ唱 典264(第五主日A)

アレルヤ、アレルヤ。わたしは道、真理、いのち。わたしをを通らなければ、誰も父のもとに行けない。あれるや、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ14:1-12)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕1「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 5トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 7あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 12はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 大型連休が終わり、一部には事業再開の動きもありますが、まだまだ油断のできない自粛の日々が続きます。そうする間にも教会は、もう復活節第五の主日を迎えました。
 今日の第一朗読の「使徒たちの宣教」は、誕生して間もない教会が出会った困難の一つについて記しています。教会の中に、二つのグループができ、一方から不満の声が上がったのです。教会の発展に伴って、ユダヤ人からすれば外国人のような、ギリシャ語を話す人々から、自分たちが差別を受けているという不満です。今の日本の教会が経験している問題と重なります。無意識のうちに、少数派の人々が多数派によって疎外されていたのかもしれません。使徒たちは、この問題の解決のために、食事の世話をするにふさわしい人々―奉仕者(助祭)―を選んで、自分たちは御言葉の奉仕に専念することにした、と記されています。
 ヨハネ福音書は、弟子たちのもとを去って行かれるイエスの思いを、長い説教の形で伝えています。「わたしは場所を用意しに行く」と。ただ運命に身を任せるのではなく、自らのしっかりした意志をもって、父の望まれる道を進まれます。人間が、自分の力に頼っている限り、決して行くことのできないその場所へ、イエスは道を開かれます。そして、言われます、「あなたがたはその道を知っている」と。イエスとともに日々を過ごし、イエスの言葉を聞き、イエスのなさったことを見ていた弟子たちは、それだけで、イエスが歩もうとされた道を知っていたはずです。
 しかし、トマスは言います、「わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と。そうです。まだ、わかっていないのです。イエスが苦しみを受け、十字架上でなくなり、復活して自分の姿を示されたとき、彼らははじめてわかるのです。苦しみを通って栄光へ、十字架を通して復活のいのちへ、それがイエスの歩まれる道、真の命への道なのです。 イエスはさらに言われます、「わたしを見た者は、父を見たのだ」と。イエスは、神について教えるだけでなく、文字通り、目に見える形で示してくださったのです。イエスご自身が神の姿だったのです。
 しかし、それがわかるためには、特別な目が必要でした。それは、信じるという目です。いくらイエスが神について語り、不思議を行い、病人をいやしても、信じようとしない人々には、イエスの中に神を認めることはできません。イエスのうちに父を見るためには、信じること、つまり、自分の自由な意志でそれを受け入れる心が必要です。そして、それはまさに神のみが与えることのできる恵みです。この恵みに日々応えてゆくことができますように、そして、特に、この困難な時期に、信じることから来る真の希望に目覚めることができますようにお祈りいたしましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. 福音冒頭。
    心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。

    聖書の中で、神が我々に何かを命じられるとき、必ず前提条件がある。
    現に主イエスは、こう言う前に、弟子たちの足を洗い、イスカリオテのユダの決定的裏切りとペトロの裏切りを預言する。

    大震災直前の告解室で、
    信じなさい、
    とメンディサバル師に言われたとき、神イエス・キリストのみでなく、メンディサバル師をも信じなさい、と言われているように感じた。

    現に、ヨハネ福音書14章のみならず、聖書を開けば、メンディサバル師の言動と一致し、師が神イエス・キリストから遣わされた者であることがわかる。

    思い込みと信仰は、あえて峻別しようとしなくても、分かる!のだ。

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  2. 第二朗読。
    主のもとに来なさい。主は人々から見捨てられた、、。

    主を見捨てた人々、主を殺した人々に迎合していたら教会と言えないだろう。
    主に心を打ち明けるように、互いに心を打ち明けなければ共同体とはいえない。

    私は罪人です、と告白し、神に愛された罪人として大活躍の教皇フランシシコ。
    学校なんて行かずに一人で異議申し立てをしたグレタちゃん。
    彼らに頼り切って、晩期資本主義の虚業と虚栄に邁進するなんて、老人虐待児童虐待。

    世界のシステム化・施設化・強制収容化をやめて、生きた人間の世界を作ろう!
    動くシカバネたちの世界ではなく。

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  3. 第一朗読。神の言葉をないがしろにしている集団にどう対応するか。
    責任ある人間は苦情を言うが、その集団に聞く耳があることが前提だ。
    なければ、ピエロを演じるしかない。
    そもそも、インターネット、メール、SNSなどという人間疎外の典型に加担した自分を悔い改めることからはじめたい。

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