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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

復活節第三水曜日(4/17)

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わたしが命のパンである

ヨハネ6:35
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録8.1b-8)

 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 2しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。 3一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。  
 4さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 5フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。 6群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 7実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。 8町の人々は大変喜んだ。

🌸 答唱詩編 詩編66 典130 ①②

アレルヤ唱 典275 ⑤

🌸 福音朗読 (ヨハネ6.35-40)

ヨハネによる福音

 35〔その時、イエスは人々に言われた。〕「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。 36しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。 37父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
 はたして、わたしたちは飢えるという経験、渇くという経験をしているだろうか。むしろ、あまりに多くの物(食べ物)、情報、刺激(音・光)にさらされて、何ものにも飢えや渇きを感じなくなっているのではないか。そうした飽満な状態から抜け出して、何もない状態に戻ることにはだれもが抵抗を感じる。イスラエルの民が昔、約束の地に入る前に、砂漠の生活を強いられたのは、やがて訪れる豊かな生活の中でも、正しい「飢えと渇き」を意識するためだったのだろう。
 砂漠は、人がそこでいつまでも生活する場所ではない。しかし、砂漠は、人が正しい飢え渇きを感じ、よりよく生きるために必要な場所なのだ。今、人類が経験している「コロナ」はまさに、人類全体が砂漠の中に置かれたような体験である。それは、まさに、人々とのあるべき交わり、分かち合い、そして、人間を超えた存在への「飢えと渇き」を経験する一つの砂漠体験である。それは、あまりに多くの物があふれ、それを当然視して生きる現代人への警鐘かもしれない。
 旧約の民が砂漠でマナを食べたように、新約の民は、イエスが与えるパンによって養われる。それは、豊かさの中に生きるわたしたちが真の糧に対する飢えと渇きを、あらためて意識し、そこにこそ、真の命があることを教える神のはからいである。それをいただくためにただ一つ必要な、「信じる」恵みが与えられるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. 「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」
    アモロス神父様も帰天された。
    ラテン語教師としては厳しかったみたいですが、わたしたちには本当にやさしい神父様だった。
    暑い夏の霊操を思い出す。
    すさみ慰め、、。
    今は、毎日が霊操のよう。

    返信
  2. 真の糧に対する飢えと渇きをどれほど意識していただろうか?
    問い直し、恵みを感謝いたします。

    返信

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