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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活の水曜日(4/3)

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わたしたちの心は燃えていたではないか

ルカ24:32
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録3.1-10)

 1〔その日、〕ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。 2すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。 3彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。 4ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 5その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、 6ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 7そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、 8躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。 9民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。 10彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

🌸 答唱詩編 詩編105 典177①②

アレルヤ唱 典266(八日間)

🌸 福音朗読 (ルカ24.13-35)

ルカによる福音

 13ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 14この一切の出来事について話し合っていた。 15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、 23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。 24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、 34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 復活の信仰は、弟子たちが「主を見た」ことで始まった、とされる。しかし、復活の主は、直接、主だ、とわかる姿で現れるとは限らない。
 今日の有名なエマオへ向かう二人の弟子たちへの出現もまさにそうである。彼らは沈んだ心でエルサレムを離れる。途中、主は旅人の姿で、二人に同行し、言葉をかけられる。二人はエルサレムで起きたことの一部始終をよく知っているが、その意味がわからない。わからないだけでなく、今のコロナ禍を生きるわたしたちのように、否定的にだけとらえている。
 旅人は突然、聖書学者のように、出来事の意味を聖書を通して説明し始める。「メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入るはず」だと。しかし、それだけでは十分ではなかったのだろうか。後に、「心は燃えていた」と言うが。彼らの「目が開け、イエスだとわかった」のは、宿屋に泊まるよう勧め、食事を共にしたときに、旅人が晩餐を催す主人のように、「賛美の祈りを唱え、パンを裂いて彼らに渡した」時だった。
 直接主にお会いすることのないわたしたちも、このような形で、復活の主にお会いする恵みをいただいているのではないか。それは、いつの時代においても、「わたしの記念として行え」と弟子たちに言われた、晩餐を執り行う時に再現される。秘跡の中で、み言葉の解き明かしが行われ、主の体とされるパンをいただくとき、聖霊が働いて、わたしたちの中に、復活の主を信じる恵みが注がれる。この貴重なチャンネルが少しでも早く、全開になるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. この貴重なチャンネルが全開になるように私も祈ります。

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