集会祈願
🌸 第一朗読 (シラ48:1-4、9-11)
シラ書
1そして火のような預言者エリヤが登場した。
彼の言葉は松明のように燃えていた。
2彼は人々に飢饉をもたらし、
その熱意をもって人々の数を減らした。
3彼は主の言葉によって天を閉ざし、
三度、火を降らせた。
4エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、
どれほどほめたたえられたことだろうか。
あなたと等しく誇りうる者があろうか。
9あなたは火の旋風に包まれ、
火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。
10あなたは、書き記されているとおり、
定められた時に備える者。
神の怒りが激しくなる前に、これを静め、
父の心を子に向けさせ、
ヤコブの諸部族を立て直す者。
11あなたを見る者、
また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。
確かに、わたしたちも生きるであろう。
🌸 答唱詩編 詩編80 典80 ⑤⑥
アレルヤ唱 典256 ⑦
🌸 福音朗読 (マタイ17:10-13)
マタイによる福音
10〔山を下りるとき、弟子たちは〕イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。 11イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。 12言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」 13そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「なぜ、律法学者は、エリヤが来るはずだと言っているのか」。マラキの預言にある「大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」という言葉を指すのだろう。紀元前9世紀前半、預言者の系譜の最初に現れた偉大な預言者・指導者エリヤがメシア時代に、メシアに先駆けて再び現れる、という確信がイスラエルの中に広がっていた。過ぎ越し祭の食事には、家族の人数に一人加えて席を用意する、というユダヤ人の習慣はそこから来ると言われている。第一朗読で読まれたシラ書の中にも、エリヤの登場が記されている。エリヤは、北王国イスラエルで、王国が唯一の神への信仰に立ち帰るよう、王アハブやバアルの預言者たちを相手に単身戦った孤高の預言者。
このエリヤの再来と思われたのが洗礼者ヨハネ。メシアの到来に備えて人々のこころを主に立ち帰らせる使命に生きた偉大な人物。イエスは言われる、「エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらった。人の子も、そのように人々から苦しめられる」。
尊い使命をいただき、それに生涯をかけた人物を、神はどうして、そのような目に遭わされるのか。人間の弱さや罪によって、神の当初の計画は歴史の中で度々挫折した。しかし、神は、決してそれで終わりとはされない。わたしたちの人生においても、同じことがあるのではないか。神は、そうした人間が設ける障害にひるむことなく、あらたな道を切り開く一歩としてくださる。そんな神のいつくしみを思い、困難の中でも神の導きに信頼して生きる恵みを祈ろう。(S.T.)
統一協会の被害者救済も法律でというよりも霊的人間が派遣されることが第一だと思う。
政治と宗教を分ける以前と言うか統合と言うか。
まずは、すべてである主に祈る。
ついエリヤや洗礼者ヨハネに注目すると自力になってしまう。
今、パッと出ないが、福音書の中でキリストはおよそ女から生まれた者で洗礼者ヨハネほど偉大な者はいない、と言った後で、我々キリストの弟子たちのことを言っている。
あった。先の福音、マタイ福音書11章11節以下。そして12節の激しく襲う者とは確かピオ12世が殉教者を指している、と言っていた(『毎日の読書』第6巻、手元にないので不確かだが)。
確かに石原慎太郎はかっこいいが自力の人だった、途中まで。晩年の文章を読んでないので、その後は不明。五木寛之は他力の人、ということで二人の対話が面白い。
自力の愛と他力の愛
そして、ボクは痴人の愛?
トホホ。
祈りの人よ
各エリア(地域)のエリヤ(中野重治「豪傑」参照)になあれ!
アーメン!
アレルヤ!