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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十水曜日(6/14)

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わたしたちの資格は神から与えられたもの

2コリント3:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (ニコリント3.4-11)

 4〔皆さん、〕わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。 5もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。 6神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
 7ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、 8霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。 9人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。 10そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。 11なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。

🌸 答唱詩編 詩編119 典56 ④⑤

アレルヤ唱 典269 ㉛

🌸 福音朗読 (マタイ5.17-19)

マタイによる福音
 17〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 山上の説教は続いています。一昨日の個所は山上の説教の冒頭部分で真福八端について語りました。そして、昨日の個所は弟子たちの定義で光と塩について述べました。今日からは律法の一つ一つに対して主イエスの考え方を紹介します。最初は、律法の完成についての考えです。

 「律法」は、神がモーセを通して、エジプトの奴隷状態から救われたイスラエルの民に与えた掟です。律法の前提には神のこの救いのわざがあります。また、律法の中に示されるのは、神によって救われた民が神に対して、そして人に対してどのように生きるべきか、ということです。それから、「預言者」はその時代、その社会の中で神からのメッセージを告げるために選ばれた人々でした。

 「律法や預言者」は旧約聖書全体を指す言葉でもあります。そこに神の意思・望み・み旨が示されていると主イエスの時代のユダヤ人は信じていました。特にファリサイ派の人々や律法学者たちは熱心に律法を学び、守ることこそ、神に従う道であると確信していました。

 主イエスも律法や預言者を否定しません。しかし、主イエスの律法に対する態度は、律法学者やファリサイ派の態度とは明らかに違っていました。主イエスが律法を完成させるために来たと言われましたが、これはどういうことでしょうか?主イエスは1つ1つの掟を忠実に守るというよりも、そこに示されている神のみ旨を本当に行う道を示しているのです。

 主イエスによる律法の完成には、2つの面があります。山上の説教全体を見れば、それは神が望まれる人間の生き方を愛という一点に集中させる「愛による完成の道」であります。そしてまた、人間の力ではなく、神への信頼のうちに神のみ旨を果たす「神による完成の道」だと言えるのです。だから、主イエスに従っている私たちは神における愛による完成の道を歩まなければなりません。

 どうか、聖母マリアのお助けによって、主イエスの道をしっかり改めて考え、その道に忠実に従うことができますようにお祈りしましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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