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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十六月曜日(7/24)

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恐れてはならない。今日、主の救いを見なさい

エジプト14:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト14.5-18)

 5〔その日、〕民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った。「ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。」 6ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、 7えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。 8主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、 9エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。 10ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、 11また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。 12我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」 13モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。 14主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
 15主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。 16杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。 17しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。 18わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」

🌸 答唱詩編 詩編 典79 ①②

アレルヤ唱 典261 ③

🌸 福音朗読 (マタイ12.38-42)

マタイによる福音
 38〔そのとき}何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。 39イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 40つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。 41ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。 42また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先日の福音の言葉、「わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。・・・彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない」を思い出されるだろうか。
 イエスが与えようとする「しるし」は、見ようとする者には、ここにも、あそこにも、どこにでも与えられている。人々の病を癒し、罪びとの友となり、人々にパンを増やしておやりになる。それらはすべて、イエスが人となった神の子であることの「しるし」ではないか。
 しかし、イエスは、自己弁護をしようとされない。イエスを受け入れようとしないファリサイ派の人々や律法学者には、彼らがとうてい受け入れようとしない「ヨナのしるし」、すなわち、「ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」、という復活を暗示されるだけである。マルコでは、もっと端的に、「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」(マルコ8.12)と断言される。
 「しるし」を受け入れるために必要なことは、信じる心、謙遜な心をもって、神のことば、神の働きを受け入れることではないか。はたして、わたしたちは、今の時代の中で与えられている「しるし」を見る目をもっているだろうか。その「しるし」とは何だろうか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 本日の福音はイエス・キリストの言葉の冒頭に答えがある。
    ファリサイ派に対し「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがる」と主は言われる。
    現在の日本の法律家や公務員のように法令遵守と言って人道人権犯罪やってるナチス・ドイツや軍国日本の仲間は、まず、ヨナのしるし、悔い改めからはじめて!とイエスさま。
    ロヨラのイグナチオの霊操で謙遜の第一段階を一言で言うと、悪い事しない、と師は言った。
    然り。
    地元駒ヶ根の20年来の知人に数ヶ月前、「まず、悪い事しないことが大切!」と言ったら
    「小野さん!そんなこと言ったら一生、戦いだよ~」と言って電話を切られてから、何度こちらから電話しても出なくなった。
    よこしまで神に背いた時代の者たちばかりだが(この間の長野県警察警察官も最高裁判決・判例より駒ヶ根の掟優先と!)散歩に行こう!

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