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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十八木曜日(8/5)

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「あなたはメシア、生ける神の子です」

マタイ16:16
集会祈願

🌸 第一朗読 (民数記20.1-13)

  1イスラエルの人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した。ミリアムはそこで死に、その地に埋葬された。
 2さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった。 3民はモーセに抗弁して言った。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。 4なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。 5なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。」
 6モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼らに向かって現れた。 7主はモーセに仰せになった。 8「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」 9モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。 10そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」 11モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。 12主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」 13これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主が御自分の聖なることを示された所である。

🌸 答唱詩編 詩編95 典35 ①④

アレルヤ唱 典269 ㊺

🌸 福音朗読 (マタイ16.13-23)

マタイによる福音
 13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
 21このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。 22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 23イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」 

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の箇所は、マタイが描く公生活の大きな山場。信仰告白、教会を建てるという約束、そして、受難の予告。
どれをとっても、それだけで、黙想や話のための豊かな材料だが、今日は、ただ一点についてだけ触れたい。この三つの大事な個所それぞれに、「ペトロ」が、登場すること。
 イエスは誰か、という信仰上の根本問題が問われた時に、ペトロは皆を代表して答える、「あなたはメシア、生ける神の子です」と。立派な答え、正解である。神の霊の促しによって、はじめてできる信仰告白。この信仰につぃて、「口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10.10)、とパウロは言う。
そして、その信仰を前提として、主はご自分の教会を建てることを約束される、「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と。それは、人間の力によるのではなく、神の知恵、神の力によるもの、だから、「陰府の力もこれに対抗できない」と言われる。
 しかし、この喜ばしい約束の後に、受難の予告が続く。しかも、ペトロは、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と、イエスの発言を否定する。
 弟子の頭とされたペトロは、大事な局面にいつも登場するが、イエスのなさることをすべて理解できたわけではない。それどころか、何度も、イエスの言葉を誤解したり、否定したり、挙句にイエスを否んだりする。それでも、ペトロが選ばれ、期待され、支えられたのは、イエスの愛によるとしか説明できない。イスラエルの民然り、弟子たち然り、そして、わたしたちが呼ばれたのも、ひとえに、同じ愛によるのだろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. わたしが救われたのは行いによるのではなく、恵みによって救われたことを感謝し、キリストの愛、神様の広く深い愛を祈りのうちに黙想したいと思います。

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