集会祈願
🌸 第一朗読 (申命記6.4-13)
4〔モーセは民に言った。〕聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 5あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、 7子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。 8更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、 9あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
10あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、 11自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、 12あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。 13あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
🌸 答唱詩編 詩編18 典64 ①⑥
アレルヤ唱 典273 30B
🌸 福音朗読 (マタイ17.14-20)
マタイによる福音
14〔その時、〕ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、 15言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。 16お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」 17イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」 18そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。 19弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。 20イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
弟子たちが癒すことのできなかった悪霊につかれた(てんかん)子どもをイエスが癒されたときの話し。弟子たち(12使徒)が宣教に派遣されたとき、悪霊を追い出すこと、病気を癒すことが必ず記されている。福音書の中で、イエスによる癒しの話しはたくさんあるが、弟子たちによるものはほとんどない。イエスの復活の後、聖霊を注がれて、弟子たちは宣教に赴くが、その際、様々な癒しの業を行ったことが、使徒言行録に記されている。
イエスがしたように、イエスの弟子も癒しを行うことができる、と人々が考えても不思議でないが、そうした出来事を通して、何か根本的なことが教えられている。つまり、病気の癒しや悪霊の追放は、神の働きのしるしであって、メシアであるから、イエスの弟子であるから、自動的に可能になるというものではない。神が働くことへの信仰、その一つの表現である祈りがあって、はじめて、神の働きが現実のものとなる。だから、イエスは、「信仰が薄いからだ。からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、ここから、あそこへ移れ」と命じても、そのとおりになる。」と言われる。
マタイの中で、この話は、昨日記念した変容の出来事のすぐ後に置かれている。変容があった山の上=神の世界と、山の下=人間の現実を結びつけるものは、ほかならない信仰であることを教えているとも思われる。マタイの教会、そして現代の教会に求められているのが、まさに信仰だと言えるのではないか。(S.T.)
「あなた方に出来ない事は何もない」と言われたイエス様の言葉がとても印象に残りました。後の弟子たちの書かれた手紙の中にも信仰の大切さが強調されている言葉がたくさんあります。
困難な状況の中にあっても信仰を失わず祈り続けられます様に🍀