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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十二月曜日(6/26)

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まず自分の目から丸太を取り除け

マタイ7:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記12.1-9)

1〔その日、〕主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
4アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。 5アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。 6アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
7主はアブラムに現れて、言われた。
「あなたの子孫にこの土地を与える。」
アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
8アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。 9アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ③⑤

アレルヤ唱 典271 ⑯

🌸 福音朗読 (マタイ7.1-5)

マタイによる福音
 1〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 2あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 3あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 4兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 5偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「裁く」とは、ある意味で、「優っているとする」という態度です。すなわち、自分のほうが誰かよりも優れているとするのです。そして、自分を正当化して、自己義の立場から見下ろし、あわれみのない裁きをくだします。あわれみなく、寛容さなく、赦しなく、ただ切り捨てるような冷たい裁きで終わるのです。性格が自分と合わないとか、物の考え方や価値観が違っているというだけで相手を低く見て、そして裁いて快感さえ覚えています。これに対して、教皇フランシスコは次のように言いました。裁きまたはうわさ話は人々の生活を破壊し、痛み、怒り、悲しみを引き起こします。

 つまり、今日の福音は山上の説教が続いています。今日の中心的教えは「人を裁くな」という一文です。この教えを実践するには、まず自らの高慢さを砕かなければなりません。山上の説教の最初の教えに立ち戻ってみますと、「心の貧しい者は幸いです」と、自分の内に何もないとわかるまでへりくだりにならなければならないと思い出しました。

 そうして、あわれみ深い者となり、平和をつくる者とまでなるのです。さばかない者となり、相手の目からちり(おがくず)を取り除くことができる者となるのです。先ずは自らが神の前にへりくだる習性を身につける必要があると思います。これはなかなか難しい気がしますが、神の助けによって、神のみ言葉を実行することができると思います。人を裁かないなら、豊かに生きて、憐れみ深い者となるでしょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 人を裁くな…私はすぐに人を裁く。そして、人を裁いてしまうこんな自分は神さまから愛される資格はないと裁く自分を責め続けてしまう。人を裁いてしまう自分はいつも神さまから怒られている感じがしてしまう。

    これからは自分を責めるのではなく、自分の高慢さに気づき、心からへりくだり、あわれみ深い者となれますように、せつに神さまの助けと恵みをお願いしたいと思います。

    返信
    • 磯辺文子さま、
      自分自身の弱さなどに気付いて、それを認めたら、それが恵みです。
      もう一歩、神に信頼する必要があります。そして「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)
      思いやりの心をもって、他者の欠点を見つめるよりも、彼らの良い側面をよく見たら、人を裁くことが少なくなるかもしれません。
      神は愛であるということを信じながら、一緒に祈りましょう。

      返信

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