聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者 (記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (申命記10.12-22)
12〔モーセは民に言った。〕イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、 13わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。 14見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。 15主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。 16心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。 17あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、 18孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。 19あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。 20あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。 21この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。 22あなたの先祖は七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを天の星のように数多くされた。
🌸 答唱詩編 詩編147 典135①②
アレルヤ唱 典270 25B
🌸 福音朗読 (マタイ17.22-27)
マタイによる福音
22〔イエスと弟子たち〕がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。 23そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
24一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。 25ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」 26ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。 27しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
二度目の受難予告に続いて、マタイだけが記す神殿税についての話。そもそも神殿税とは何か。時代によって違いがあるが、基本的に、神殿への奉仕のためにイスラエルの男子(20歳以上)が毎年納めるよう定められていた(出エジプト記30.11∼16、ネヘミヤ記10.33)もので、半シェケル(2ドラクマ)だったとされる。
質問されたペトロは、「先生は納めます」と答える。それに対してイエスは、神殿税は、本来、一般人が納めるもので、神の子である自分、また、その弟子たちには、その義務はないが、人々をつまずかせないように、湖の魚の口から出る銀貨をもって、自分とお前の分として納めよと、言う。
この話が、どれほど、マタイの教会にインパクトを与えたかわからないが、そこで感じることは、イエスの考え方が実に自由であるということ。原則を持たず、その時その時の状況で判断する状況主義や日和見主義では決してないが、状況を全く無視し、硬直した原則主義、律法主義ではないということ。
かつて、養成期中に出会った司祭会員の中には、実に自由な心を持った方が複数おられた。フランシスコ教皇もその一人だろう。厳しい原理・原則一点張りの時代の中で、そうした先輩に出会えたことは大きな恵みだった。(S.T.)
安息日が人のためにあるのか、人が安息日のためにあるのかと問われた聖書の箇所を思い出しました。
イエス様が一番大切にされていることを私も守っていけますように。
聖霊様が豊かに私たちのうちで働いて下さいますように祈ります💖