聖ピオ – ピエトレルチーナ- 司祭(記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (一テモテ6.13-16)
13〔愛する者よ、〕万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。 14わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 15神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 16唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
🌸 答唱詩編 詩編100 典172 ①④
アレルヤ唱 典272 ㉚
🌸 福音朗読 (ルカ8.4-15)
ルカによる福音
4大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。 5「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。 6ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。 7ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。 8また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
9弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。 10イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、
『彼らが見ても見えず、
聞いても理解できない』
ようになるためである。」
11「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。 12道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。 13石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。 14そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。 15良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
有名な「種を蒔く人」たとえ。共観福音書のどれにも記されているイエスの説教の中心的な話の一つ。蒔かれた種が、落ちた土地によって、様々な反応を示し、実を結んだのはわずかの種、良い土地に落ちた種だけだとう話。種が落ちる土地を中心に考えるか、種を蒔く人に中心を置くかで、ずいぶん違った解釈になるが、いずれにしても、実を結ぶのはわずかの種であることには違いはない。
イエスは、はたした、このたとえをもって何を語ろうとしておられたのだろうか。一つの鍵になるのは、たとえとその解釈の間に置かれた2節。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ」、という言葉。「秘密」と訳された言葉は、mysterion 、文字通りの秘密ではなく、人間の知恵や理屈を超えた、神の世界の現実を表わす言葉ではないか。それを理解するのは、人間の知恵や理屈ではなく、「良い土地」に象徴されるような、神の霊や光を受けいれる人、小さくされ、注目されず、自らの弱さを知り、受け入れる人なのではないか。だからこそ、自分の力に頼り、開かれた心で受け入れようとしない「彼らが見ても見えず、聞いても理解できない」ようになるため、と言われるのだ。
「たとえ」が必ずしも、難しいものを理解しやすくするためでないことを、心にとどめる必要がある。(S.T.)