聖ヒエロニモ司祭教会博士(記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (ゼカリヤ2.5-9、14-15a)
5わたしが目を留めて見ると、ひとりの人が測り縄を手にしているではないか。 6「あなたはどこに行かれるのですか」と尋ねると、彼はわたしに、「エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです」と答えた。 7わたしに語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、 8彼に言った。「あの若者のもとに走り寄って告げよ。
エルサレムは人と家畜に溢れ
城壁のない開かれた所となる。
9わたし自身が町を囲む火の城壁となると
主は言われる。
わたしはその中にあって栄光となる。
14娘シオンよ、声をあげて喜べ。
わたしは来て
あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
15その日、多くの国々は主に帰依して
わたしの民となり
わたしはあなたのただ中に住まう。
🌸 答唱詩編 詩編65 典183 ③⑤
アレルヤ唱 典269 ㉙
🌸 福音朗読 (ルカ9.43b-45)
ルカによる福音
〔そのとき、〕イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。 44「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」 45弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスの受難についての二回目の予告。「弟子たちはそのことが分からなかった。彼らには理解できないように隠されていた」と記す。一回目の予告では、ルカは何の反応も記さないが、マルコやマタイでは、ペトロがイエスを「わきへお連れしていさめ始めた」とか、「とんでもないことです、そんなことはあってはなりません」と語ったことを記す。いずれも、予想もしない出来事に遭遇した時の人間の素直な反応を示している。
50年ほど前に、キュブラー・ロスという医師が、死を迎える人間の心理について、『死ぬ瞬間』と言う本を発表された。その中で、彼女は長年の臨床体験をもとに、人間が自らの死というものをどのように受け止めるかの過程をまとめている。それは、否認、怒り、取引、抑鬱、受容という5つの段階を踏むというもの。当時、世界的に大きな反響を呼び、イエズス会のデーケン神父の貢献もあって、日本でも「死の準備教育」というものが広がった。この5つの段階については、異論を唱えるものもいるが、死に限らず、予想外の出来事に直面した人間の心理として、非常に深い洞察であると思う。
イエスから受難の予告を受けた弟子たちも、まず示した反応は「否認」だったことは間違いない。最後の「受容」に至るまでには、十字架の死から復活、そして、聖霊降臨に至る長い過程が必要だったことも、いかに、イエスの受難が人間にとって、受け入れがたいものであるかを物語っている。
自らの死にもつながるイエスの受難を受け止めるには、それだけの過程、さらには恵みが必要であること、しっかり心に留めよう。(S.T.)